<3日目-1> 2011年10月16日(日)
眠れないまま午前6時起床です。昨日と同じく「イソジン」「パブロン」で風邪への対処をする前に、今朝は一つ違うアクションを致します・・・
液体胃腸薬「ソルマック」(※これもサンクスにて購入)を飲み干します。やはり、『旅B』には、丈夫な胃腸が何よりです。(※胃腸薬なんぞ飲まなくても、十分大丈夫とは思いますヨ。)
そしてもう一つ、朝飯後に栄養ドリンク「アリナミンA」(※これまたサンクスにて購入)です。どうやら、この体の気だるさは、風邪薬からきているようだ。『旅B』も残すところ 後1日。元気いっぱいにいきたいところです。
でも・・・考えてみると、今朝は、俗にいう“薬漬け”です。副作用が起きないことを願うばかりです。
藤倉食品
2011年10月16日(日) 今日の朝飯 は・・・
秋田・横手 「 藤倉食品 」
とうふカステラ ¥480 ※前日購入

「とうふ」と「カステラ」・・・四角い食べ物という共通したところはあるのですが、全く相いれない性質・味わいを持つ2つのモノが一緒になる・・・加藤茶の“歳の差婚”以上にありえないように思えるのですが・・・
豆腐カステラは、秋田県南部の郷土菓子の一つで、豆腐をカステラ状に加工した菓子。 水気を絞った豆腐に砂糖、卵、塩などを加え、四角い型などに入れてカステラ状に焼き上げて作られる。
砂糖はカステラのように甘味をつけることに加えて防腐効果も兼ねており、本来日持ちしない豆腐も、豆腐カステラならば1週間ほど保存が利く。
秋田県内ではお茶請けや、年越しの行事食として親しまれており、冠婚葬祭、お盆や正月など、人の集まりにふるまう菓子としても欠かせない。
かつては各家庭でも作られ、近年では県内のスーパーマーケットでもごく普通に販売されており、秋田育ちの者にとっては馴染み深い食品である。
秋田県外の者にとっては、菓子状に甘くした豆腐は馴染みがなく、「菓子にもおかずにもならない」などと評判が良くないこともある。
江戸時代末期にすでに存在していたといわれるほど、豆腐カステラの歴史は古い。カステラの主原料である砂糖や卵が高価だった時代には、一般家庭ではカステラを味わうことができなかったことと、新鮮な魚介類は入手困難だが畑作の盛んな秋田南部では大豆もまた重要な作物であり、豆腐をご馳走として特別な日のもてなしに用いていたことから、豆腐を加工してカステラ状にすることで、豆腐カステラが生まれたと考えられている。※Wikipedia

解説にあるように、秋田県外の者にとっては・・・不思議な、というか、?くて喰えないです。蒲鉾のような食感の豆腐風味(おから味)の中に、ほんのり甘みがある。
こんな小生でも、こんな気色の悪い喰い物は初めてです。だったら、大根おろしと醤油で厚焼き玉子のようにして食べたら・・・とも考えますが、“とうふカステラ”そのものがあまりにもタンパク過ぎて、絶対NGです。
打つ手無しとはこのことで、口に入れないのが、最も得策であると思います。でも、まあ、強いてその使い道を探れば、“和菓子か洋菓子のパーツ”としてなら・・・ひょっとして上手くいくのかもしれません。でも、単体では、『絶対無理!!』。そのほとんどを残して、朝飯終了です。
・・・
朝飯後に飲んだ「アリナミンA」が効いたのか、小生、元気が出てきました。こうなれば、横手市内観光です。午前8時30分、ホテルに荷物を預け、勇んで出発です。「さあ、この2日間の遅れを取り戻すゾ!」
朝の横手繁華街は、車も人もほとんど見かけない、正に“ゴーストタウン”。映画の1シーンの中にいるような不思議な気分です。秋田地方の疲弊をつくづく感じさせられます。「B級グルメ」で全国にその名をはせた「横手市」ですら、これですからネ。

歩くこと数分・・・市街地を抜け「横手川」に沿って進みます。何か“ほっこり”する風景です。今『旅B』初めての感情です。いつもの調子が出てきたようです。

そして、右手の小高い丘に向かって、坂道を登り始めます。けっこう急な角度ですが、歩速を落とすことなく、元気よく上がっていきます。
ただ・・これは朝起きた時からズーッとなんですが・・・口に“のど飴”は欠かせません。どうやら“咳”は恒常的なものになってきているようです。




坂を登りきった所が「横手公園」です。小生の目指すところは、その一番高い所にそびえる「横手城」です。

秋田県横手市にある公園であり、1908年(明治41年)に横手城跡が公園として整備されたのがはじまりである。 模擬天守である横手城展望台は町のシンボルでもあり、園内には桜が数多く植えられている。※Wikipedia


またまたの展望台です。小生、つくづく高い所が好きなようです。何をおいても制覇しないではいられません。(※バカにつける薬はないのか?) 入場料は100円と格安です。
しかも、この入場券は“四館共通”となっており、この券1枚で、この「横手城展望台」の他「かまくら館」「後三年の役金沢資料館」「石坂洋次郎文学記念館※1」で入場可能なのです。
しかし、その4つのスポットはそれぞれに距離を保った場所にあるらしいのです。「徒歩徘徊人」の小生は、後に予定している「かまくら館」以外は諦めることにします。
※1教師として1926年から秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学校)に、1929年から1938年まで秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)に勤務。代表作「若い人」は、横手中学教師時代に書き上げたとされる。
横手城展望台から横手市の眺望を満喫したお馬鹿さん(※小生のこと)、下山して次なる興味対象に向かいます。
というのも、展望台入場時に係の方の手元にあった“本多正純”というタイトルが記されたパンフレットが気になり・・・思わず、係の“昔おネエさん”に「本多正純?徳川の?何で横手なの?」と質問したところ、ここ横手に流されて一生を終えたとのこと。
弊社社長SKさんが愛して止まない岡崎の英雄「徳川家康」、その側近中の側近「本多正信(※NHK大河ドラマ「江」では草刈正雄が演じている)」の息子で、同じく家康に仕えたとされる本多正純。家康亡きあと、2代将軍・秀忠の後見役となったが、正純の存在を疎ましく思っていた土井利勝らの謀略で、あらぬ嫌疑をかけられ、遂には出羽国横手に流罪となってしまったのである。どうやら秀忠自身も父・家康の代から自らの意に沿わない正純を疎ましく思っていたことも、その大きな原因とされています。
しかし、現代の社会、とりわけ会社内で、社長の代替わり時に同じ愚かな政争が繰り返されている・・・人間の醜さです。
ですから弊社でも、現在のSK社長が退任される折にも、そのような悲劇が起こるのでしょう。特に、SK社長の息がかかった子飼いの部下とされるキッコロさんに降りかかる災難はいかばかりでありましょう・・・
えっ?彼の場合は大丈夫、って?・・・そうですネ。別名“カメレオン・ハート”とも“心七変化”とも呼ばれているキッコロさんです。きっと、すっかり恩を忘れ、SK社長や小生を“悪の枢軸”として、得意の「作り話」で罵倒し、きっと局面を打開されるに違いありませんが・・・得なご性格ですネ。
その悲劇の主人公「本多正純」のお墓が近くにあるというので、観光マップを片手に探索します。
しかし、デフォルメされたマップほど距離感の掴めないものはありません。現実には「横手公園」のある小高い丘の反対側にあり、丘の麓を迂回しなければならないのです。かなりの距離です。
しかも、どうやら「アリナミンA」の効果が切れかかってきたようで、妙に体が重く感じられます。ほうほうの体(てい)で、目的地までたどり着きましたが、体調は元の木阿弥(もくあみ)・・・絶不調に逆戻りです。「正純ちゃん」を憐れむ気持ちなど何処かに吹き飛んでしまっています。

折角苦労して来たのに、何の未練もなく踵(きびす)を返します。そして、本多正純さんにお別れの挨拶です。『あんたも、キッコロさんのように、心を悪魔に売り渡しておけば、きっと違った人生を送れたはずなのにネ・・・残念!』
・・・
繁華街にゆっくりゆっくり下りていきます。中心地と思しき?ところにある「かまくら館」の訪問です。ここ横手は、「B級グルメ-横手焼きそば」だけでなく、「かまくら」でも有名です。まずは、その解説から。

横手のかまくらは「およそ400年の歴史がある、横手を代表するお祭り」とされているが、かまくら自体はあくまでも祭礼ではなく行事です。
現在のような行事になったのは明治30年以降のことで、左義長の行事と水神様を祀る行事が合わさり、さらに子供の行事となったものである。
昭和11年(1936年)にこの地を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に祭壇を設けて水神様を祀り、餅などを食べたり鳥追いの歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景を「まるで夢の国」と絶賛したこともあり、ますます盛んになり観光客が増えたという。
しかしその後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした観光行事としての色合いが強くなった。※Wikipedia
この「かまくら館」には、実際の“かまくら”が作られており、常時見学ができます。

横手市役所横手地域局隣に、「かまくら館」があり、毎年雪の入れ替え作業と定休日以外は常時見学することができる。 氷点下10℃以下の冷凍室の中にかまくら1基が作られており、冷凍室内に入ることもできる。冷凍室に入る際は、入口にあるどんぶく(丹前)を着るとよい。※Wikipedia

氷点下10℃の冷凍室は、病人には過酷な環境です。しかも、何故か慌てていて、入口にある防寒用の丹前(どんぶく、と言うそうです)を着忘れてしまい、冷気を直接的に体全体で受け止めることになってしまいました。それともう一つ、小生を蒼ざめさせる事実が発覚したのです・・・
“かまくらの中にいる自分”を是非カメラに収めたく、この旅B計画時から狙っていたのですが、その夢を実現に導いてくれる大切な武器、三脚を手提げカバンに入れ忘れてしまったのです。
「いつも一緒の友」であり、「カバンのベルトが肩にくい込む元凶」でもある小生の三脚・・・こんな肝心な場面で、何故あなたは存在してないのか?・・・やはり、体調不良が全ての原因であるようです。

他の観光客がどやどやと入って来た様子なので、泣く泣く諦めて退散です。『畜生っ!!』
・・・
ふらふらと駅前まで戻って参りました。いよいよ、ここ横手でのメインイベント“横手焼きそば”の探訪に移ります。
が、目指すお店は、ここより路線バスで10分ほど行った遠くにあり、バスの発車時刻もまだまだ先のようです。仕方なく、“ご禁制のタクシー”使用です。幸いにして、タクシーの数は、住民の人口を上回っているほどで駅前に溢れています。
横手やきそばは、秋田県横手市周辺で販売されているソース焼きそば。B級グルメの大会「B-1グランプリ」で優勝1回、準優勝1回している。
味は比較的甘口で、各店独自の出汁入りのウスターソースで味付けされるため、若干水分が多め。キャベツや豚のひき肉などが具として入り、店によってはホルモンが入るところもある。
また大きな特徴として片面焼きの目玉焼きがトッピングされている。目玉焼きの黄身を崩して、ちょっと多めのソースと絡めて食べるのが横手流。麺は縮れた蒸し麺ではなく茹でたストレートの角麺を使い、柔らかくしんなりとした出来上がりになる。付け合せとして、紅しょうがではなく福神漬けが付いてくる。
日本三大やきそばの一つ(ほか、富士宮やきそば・上州太田焼きそば)であり、ご当地グルメ(B級グルメ)である。
戦後(1950年頃)、「元祖神谷焼きそば屋」の店主であった萩原安治が、地元の製麺業者と協力しながら作り上げたのが始まり。1965年頃には、駄菓子屋などでも売られるようになった。
この地元で愛され育まれてきた横手やきそばは、2001年に、やきそば好きの横手市男性職員の一人が、やきそば提供店の食べ歩きをしてホームページを作り、これがマスコミに取り上げられ、第1次ブームとも呼ばれる。これを機に横手やきそばを利用した町おこしが始まる。この年に市内のやきそば提供店が中心となって「横手やきそば暖簾会」を設立。2008年には、地域団体商標申請も視野に入れ協同組合化も実現し、第2次ブームを迎えた。現在、協同組合横手やきそば暖簾会は42店舗。
2007年から、市内の横手やきそば店の資質向上を目指し、横手やきそば好きが集まった「横手やきそばグランプリ実行委員会」が結成された。毎年秋に、その年の四天王決定戦を実施している。※Wikipedia
元祖神谷焼きそば屋
2011年10月16日(日) 今日の昼飯 は・・・
秋田・横手 「 元祖神谷焼きそば屋 」
元祖横手焼きそば(並)肉玉子野菜 ¥650

「四天王」には入っていませんが、横手焼きそばの“元祖”ということで訪問です。

きっと“横手焼きそば”でシコタマ儲けたのでしょう。お店は新しくピッカピカです。 お店到着が午前10時50分。午前11時より営業ですが、お店はすでに開いています。
一番デラックスタイプ(肉・玉子・野菜入り)を並盛で注文です。(※並にしたのは体調のせいでなく、この後すぐ次があるから・・・??)

ウン?・・・やや薄めの普通の味です。「富士宮やきそば」との遭遇時のような衝撃的美味しさはありません。昨夜の「まいど」と同じようにウェッティな仕上がりですが見た目ほどの濃い味付けではありません。(※福神漬けの味が強烈に感じます。)
玉子の黄身を崩して麺をからめて食べてみますが、全体の味付けが薄い分、更に味が希薄になってしまいます。ただし、不味いものではなく・・・やはり普通の味、と言わざるを得ません。・・・これで“元祖”?・・これで“大儲け”?・・・unbelievable!
<’11旅B秋篇 Vol.5>終了



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