10月14日(金)から3日間、予定通り『’11旅B秋篇 秋田』を敢行致しました。秋晴れの下、気分爽快ルンルン気分で、思う存分の旅Bでした!
・・・と言いたいところですが、あなたの人生と同じように、思った通りには旨くいかないもの。いや、それどころか、未だかつてない悲壮なものとなってしまいました。
「天候が悪かったの?」「目指すお店が閉店してた?」・・・皆さんの、心配する声が聞こえてきそうです(※誰も心配してないって…)。しかし、そんな甘っちょろい障害ではありません。もっと深刻な、もっと衝撃的な出来事が小生を襲ったのです。小生の旅B史上最悪な状況をもたらした、その“モノ”とは?・・・
それは・・・『弊社事務所に蔓延する風邪菌』です。クライアントが事務所の配置換えをした関係で、現在 弊社の事務所は、狭いスペースに多くの人間がひしめき合う劣悪な環境になっています。誰かひとりが風邪をひけば、たちまち社内に拡散することは火を見るより明らかなこと。その最初の洗礼を浴びることになったのが小生、ということだけなのです。

が、こともあろうに、大事な大事な『旅B』中での発症・・・今回の『旅B秋篇』は、まさに“小生vs.風邪菌”の死闘に明け暮れる道程となってしまったのです。
では、そんな悲劇となった『’11旅B秋篇(秋田)』の物語の始まりで~す!
<1日目-1> 2011年10月14日(金)
『旅B』恒例の早朝起床です。時間は午前4時30分。すっきりお目覚め!と言いたいところですが、昨夜は何だか眠りが浅く、1時間くらいウトウトとしては目覚めてしまう繰り返しでした。『本格的に風邪をひいたのか?』嫌な予感と共に起床です・・・
寝不足のせいか体が重い・・・でも、そのほかには症状はない・・・喉も痛くなければ咳も出ない・・・実は昨日は、完全な風邪の初期症状を呈していて、帰宅後すぐに「葛根湯エキス」と「イソジンのうがい薬」で対処したのですが、それが功を奏したのかもしれません。
小生、大概の場合この対処法で防御できてしまいます。今回もこれでOKのはず。しかし、何か気分がすぐれない。旅B出発前のいつものルンルン気分も湧きあがってきません。何かおかしい・・・でも、予定通り午前5時50分に出発です。
・・・
秋晴れの「秋田空港」到着が午前8時35分。そのままリムジンバスに乗り換え、「秋田駅」へ。
次の行動まで時間があるので、荷物を今夜宿泊のホテルに預け身軽な姿に変身です。
しかし、心はちっとも軽くならない・・・いつもなら駅周辺を徘徊しまくり、長年住んでいるかのような土地勘を身に付けてしまうのに・・・「フーッ」ホテルのロビーで少し休憩の後、駅までトボトボと戻ります。『一体どうしてしまったのか?』

アート宇都宮
そのノロノロ歩きの時間を利用して、今回の『旅B秋篇』に秋田地方を選定した理由を披露致します。大きくは以下の3点に絞られます。
①秋の秋田は語呂も良く、日本晴れのイメージがある。
②東北で秋田県のみ未踏破で、一度も行ったことがない。(小生的都合)
③横手焼きそばを筆頭に、秋田県は「ご当地グルメ」にかなり力を入れているため、いたる所に特徴ある“モノ”が存在し、それだけに効率的ルート取りが可能である。
特に③では、県を縦断するユニークな団体「FOOD PRO あきた-秋田県『食』のネットワーク協議会」が存在し、秋田県の「ご当地グルメ」のPRに力を発揮している。
この協議会は秋田県内の各地域で愛されているご当地グルメによって「食」で街おこしを目指す団体が、まちおこしイベントに相互に出展しあう事で地域の発進力を高め、さらには「食」を通じた地域間の連携を構築することで、地域活性に寄与する事を目的とする団体です。
秋田県全体を「ご当地グルメ」の観点で盛り上げ、いつの日か秋田が「日本のB級グルメ王国」といわれることを目指しています。
この協議会の名称を「秋田県『食』のネットワーク協議会」とする。また、その通称として「FOOD PRO あきた」を併せ用いる。この協議会の事務局を、秋田県横手市に置く。 ※FOOD PROあきたHP
それだけに、今回はかなり多くの「ご当地グルメ」に挑戦することになりますが、この体調では?・・・少しだけ憂鬱になってきます。
・・・
秋田駅からJRで男鹿(おが)半島に向かいます。今日1発目の「観光」と「ご当地グルメ」探訪です。
こんな体調なのですが、不思議に腹が空いています。この辺りが、「徘徊人(はいかいびと)」小生の強さなのでしょう。これなら早い回復が期待できますネ。

-国鉄キハ40系気動車
「秋田駅」から鈍行列車で45分、「脇本駅」に到着です。路線バスが廃止になっていることを承知していますので、迷うことなく「ご禁制のタクシー」に乗り込みます。
ここで、皆さんに「男鹿半島」について説明です。
男鹿半島(おがはんとう)
秋田県西部にある日本海に突き出た半島。半島部の大半が男鹿市に属する。西部に男鹿三山、中央部に寒風山がそびえる。また、半島の南東部の海岸を中心に断崖が続いている。半島の付け根に八郎潟がある。もともとは離島であったが、米代川、雄物川から運搬される土砂により陸繋島となる。
古くから“なまはげ”が有名な所として知られている。真山、本山、毛無山は男鹿三山と呼ばれ、古くから山岳信仰の霊場とされている。 戦国時代以降は、戦国大名・安東氏の日本海経由の交易拠点として栄えた。※Wikipedia
解説にもあるように、ここ男鹿半島は、何と言っても“なまはげ”が有名です。そこここに、“なまはげ”由来の伝説地が存在しているばかりでなく、「なまはげ館」や「男鹿真山伝承館」といった“なまはげ”に関する総合デパートのような施設も整備されており、男鹿半島の観光の中心となっています。

しかし、この“なまはげ”観光には大きな欠陥があります。それは・・・すべての場所が車でないと行けない所にある、ということ。先ほどもお話ししたように、ほとんどの路線バスが廃止になっている関係上、小生たちのような“徒歩放浪人”には「海を素足で渡る」に等しいことなのです。
ですから小生、最初から、観光ルートから外していました。『でも、タクシーなら行けるかも・・・』体のだるさからと思われる“楽チン志向”、更に今日のスケジュールをひっくり返しかねない“スケベ心”、そういった邪念が小生の心に芽生え、運転手さんに尋ねます。
「あの~、なまはげ館まで行ったら、いくらぐらいかかります?」「う~ん、そうですネ。往復で1万円は下らないですネ。」『1万円か・・・』これでは“大名旅行”です。完全にルール違反。急速に“なまはげ”に対する興味も失せていきます。でも、誤解しないで下さい。別にお金を惜しんでいるのではないのですヨ。果たして“なまはげ”にそれだけの価値があるのか?ということを考えたまでです。
それに、どんな時代にも、“なまはげ”のようなものは存在するし、自分の周囲にもよく似た憎まれっ子はいるものです・・・あっ!いました、いました。本社のキッコロさんだ!(※なまはげさんが怒っていますヨ。「我々は、あの人のような邪悪な存在ではない!もっとピュアだ!!」と。失礼致しました。仰せ、ごもっともです。)
「どうします?」運転手さんからの催促です。「いや、止めておきます。では、寒風山回転展望台までお願いします。」当初のプランに戻します。
寒風山(かんぷうざん)
秋田県男鹿市にある成層火山。標高355m。山頂部は滑落で二つに分かれていて、安山岩の採石が行われている。
芝生に覆われた山肌と、近隣に障害物がないことから、パラグライダーが盛んに行われている。また山頂には展望台や八郎湖の資料館が設置されているなど、男鹿市を代表する観光地に位置づけられている。※Wikipedia

こちらも、男鹿半島を代表する観光スポットです。展望台からの眺望が素晴らしいとのことです。特に、北東に広がる大潟村の田園風景を一望できるとのことで、小生、小学校低学年の頃抱いた“ある思い”からやって来た次第です。
しかし、その前に、今『旅B』最初の「ご当地グルメ探訪」です。
寒風山回転展望台レストラン
2011年10月14日(金) 今日の昼飯 は・・・
男鹿 「 寒風山回転展望台レストラン 」
男鹿(しょっつる)焼きそば ¥700

寒風山回転展望台にある「レストラン」です。所詮観光客相手のお店ですが、ここに男鹿半島が誇るご当地グルメ「男鹿焼きそば」がメニューにあるのです。

先ほども申し上げましたように、小生、このような体調でも結構空腹です。どうやら胃腸の強固さは群を抜いているようです。またこれが、ダイエットを阻む主要因であり、たとえ病気を患っても、げっそり痩せる経験が一度もない原因ともなっています。
そんな唾液満杯状態のまま、“男鹿焼きそば”について解説です。
男鹿(しょっつる)焼きそば
男鹿の新たな名物をつくろう!ということで、男鹿市商工会と地元業者などでつくる「男鹿のやきそばを広める会(事務局・市商工会)」が、オリジナルやきそばを開発。男鹿を代表するハタハタ、しょっつるの食文化を、手軽に食べられるやきそばを通して提供しています。男鹿のしょっつるは、名物ハタハタを主な原料にした濃厚な旨味の調味料です。
男鹿のやきそばはソースではなく、しょっつる入りの塩味としょうゆ味が基本です。 「男鹿のやきそば」は、粉末ワカメと昆布ダシ入りの麺、しょっつるベースの塩・しょうゆ味のタレを使用。それ以外は各店オリジナルのレシピです。※男鹿のやきそば広める会HP
いろいろなバリエーションが展開されている中、ここの「男鹿の焼きそば」は、基本に忠実な至ってシンプルなもので、それだけにこの「ご当地グルメ」の本来の味わいが分かろうというもの。男鹿半島全体に広く散らばっている取扱い店舗の中から、小生がこの店を選定した理由も、その辺にあります。

魚(はたはた)のダシの調味料・・・魚の臭みがあるのでは?・・・と訝しんでいましたが、それは全く感じられません。むしろ良質なコクを醸し出して、深みのある味わいです。

具材に“はたはたのフライ”を使っていることも洒落ていて、なかなかの出来です。最初の探訪としては、満足いくものです。上々の滑り出しと言えますネ。
・・・
が・・・厄介な局面に遭遇しています。・・・食事中、無意識のうちに鼻水が出てきてしまい、しゅっつるの調味料に混ざり合おうとしています。(※汚い!!)
おっと、危ない!!おしぼりで何とか押さえ込み、気づかれないように取り繕います。と言っても、お客は小生一人なので、どんな悲しい様相になっても構わないわけなんですが・・・
しかし、これは・・・完全に風邪の第1ステップに突入しているようです。歳なので、多少いろいろな所が緩んできてはいますが、この洟垂れ小僧状態はいけません。体のだるさ以外、他に異常は感じていませんが、この後は、できるだけ無理をしないで参りたいと思います。
・・・
このレストランのある施設は、山頂にある上、さらに4層の建物で、その最上階が「回転展望台」となっています。きっと見晴らしは素晴らしいと思います。ただ、ここからは入場料(※500円)がかかるシステムです。
『どうしようかな?・・・』ふと入口の案内を見ると、2Fの展示室で「大潟村干拓の歴史」、3Fの展示室で「男鹿半島の郷土展」をやっているとのこと。「大潟村干拓」と「なまはげ」・・・どうやら、小生の男鹿半島での興味の対象のすべてがここにあるようです。『それなら安い!』ということで、気前よく料金を支払い、まず最上階の回転展望台へ。

「回転」と名が付くだけあって、フロアが本当に動いています。それも結構速いです。座っていれば、360度の眺望が見られる仕組みです。
ただ・・・景色があまりイケていません。その主な理由は、
① 気温上昇で景色全体が靄(もや)に包まれてしまっている。
② それに輪をかけて、展望台のガラスがあまりに汚く、さらに靄ってしまっている。
『これでは、500円の価値はないナ・・・だから、観光客がほとんどいないのネ。』
眼下を見渡すと、すぐ横の、こちらよりは少し低い所にある小高い丘に人が集まっているようです。(※数名程度の話ですが)無料の展望台になっているようです。『後で行ってみよう!』と回転展望台をすぐに諦めて、下の展示室に下りていきます。

3F「男鹿半島の郷土展」・・・ありました、ありました“なまはげ”です。というか“なまはげ”以外、男鹿半島には何も存在しません。小生の思った通り、“なまはげ”の展示会場となっています。
何も1万円以上かけてタクシーで行かなくても、規模は小さいにしろ、すぐここにあった訳です。『小生の選択は間違いなかった!』そんな自負心満開の鼻息の中で、“なまはげ”について解説です。
「なまはげ」は、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。本来は小正月の行事であった。 「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
冬に囲炉裏(いろり)にあたっていると手足に「ナモミ」「アマ」と呼ばれる低温火傷ができることがある。”それを剥いで”怠け者を懲らしめ、災いをはらい祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」「アマハゲ」「アマメハギ」「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。

一般的に、赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲとされている(違う地域もある)。 鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁(あるいは鉈)を持った“なまはげ”が家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。主人は“なまはげ”をなだめながら丁重にもてなす。
妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などはわかっていない。 異形の神が脅して教訓を与える祭として、鹿児島県薩摩川内市の甑島列島に「トシドン」という類似の行事があり、トカラ列島の悪石島には「ボゼ神」の祭がある。これらと“なまはげ”を関連づける意見もある。
また、「“なまはげ”のモデルは、漂流してきたものの、異形で異なる言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)ではないか」というような説もある。
「農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠惰を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツである」などとも言われている。
他にも秋田には、「漢の武帝が男鹿を訪れ、5匹の鬼を毎日のように使役していたが、正月15日だけは鬼たちが解き放たれて里を荒らし回った」という伝説があり、これを“なまはげ”の起源とする説もある。※Wikipedia


小生の“なまはげ”の感想は・・・『つくづく思います。この風習が名古屋地方にもあったなら、キッコロさんも“清い心の大人”になれたのに・・・?それが、今では、彼自身が“なまはげ”そのものになってしまっている・・・悲しい出来事です。』
2F「大潟村干拓の歴史」・・・「大潟村」とは、小生が小学校低学年(※昭和30年代前半)の社会の時間に勉強した「八郎潟」のことです。
それは、小生の幼心に大きな衝撃を与えた“事件”でした。当時の日本地図ではっきり確認できる、大きな湖を全部埋め立てて農地にしてしまう・・・そんなことが出来るものなのか?いや、そんなことをして本当に良いものなのか?神をも恐れぬ人間の欲。きっと罰が当たるに違いない・・・小生の“人間不信(※他人に対して不遜なだけですが)”の始まりとなりました。
そのエポックメイキングとなった「八郎潟」をこの目で確かめるべく、ここまでやって来たのです。若い皆さんはご存知ないかと思いますので、まずは、その「八郎潟」について解説です。
八郎潟(はちろうがた)は、秋田県にある湖。かつては日本第二位の面積(220km²)を誇っていたが、大部分の水域が干拓によって陸地化されたことで有名。陸地化によって陸地部分が大潟村になった。
現在では日本の湖沼において18番目の面積規模を有する。八郎湖や、八郎潟残存湖といった別名でも呼ばれる。
琵琶湖に次いで日本で2番目の広さだった八郎潟では、戦後、食糧増産を目的として干拓工事が行われ、20年の歳月と約852億円の費用を投じて約17,000haの干拓地が造成された。工事は1957年に着工し、1967年から入植を開始。全体の事業は1977年に竣工した。
干拓工事によってできあがった土地に全国から公募された入植者が入植し、1964年9月15日に「干拓式」と題する式典を吉武自治大臣、赤城農林大臣、秋田県知事らを招いて開催したのち、10月1日に秋田県で69番目の自治体として大潟村が発足した。
最終的には、米の増産を目指していたが、減反政策によって失敗した計画という見解もある。特に環境の方面では、湿地の喪失を嘆く向きもある。※Wikipedia


ここ「八郎潟」といい、九州の「有明海」といい、人間とは失敗を繰り返し犯してしまうものなのですネ。人の世の行く末が心配です。映画『猿の惑星 創世記(ジェネシス)』も、あながち絵空事ではなさそう・・・回転展望台を後に、そんな感慨に耽りながらの寒風山周辺の観光です。


・・・
再びの「ご禁制のタクシー」使用で、「脇本駅」に戻り、JR男鹿線に乗り込みます。
がらがらの車内でボックス席を独り占めしてリラックスしきっていると・・・・相変わらずの鼻水に加え、今度は何やら喉がイガイガしてきました。それにつれ、軽い咳も時々顔を出します。
『これはまずい・・・』この後予定の秋田市内の“あまり有名でないスポット”の観光を取りやめ、風邪第2ステップへの道を阻止すべく、 ホテルの部屋で対処することにします。
<’11旅B秋篇 Vol.1>終了



コメント