<新宿>

2.アーカイブス

2011年8月27日 久しぶりの「東京B散歩」です。しかし、このシリーズは、確か「東京プチ散歩」という名称に変わったのではないのか?・・・さすが鋭い皆さんですネ。その通りです。が、小生、何かしっくりいかないものを感じ、名称を元の「B散歩」に変更させて頂きます。

ですから、皆さんが大事にストックされている小生の過去のレポートの中で、それに該当するものについては、各自で変更をしておいて下さい。(※誰がストックなんかしてるかっ!即削除じゃ!!・・・そうですか・・そういう人には“不幸”が必ず訪れる呪いがかけてありますので、十分ご注意くださいネ。・・・ムムム、これは不幸の手紙か・・・

王ろじ

2011年8月27日(土) 今日の昼飯 は・・・

東京・新宿三丁目 「 王ろじ 」

とん丼   ¥950

この店は、大正10年創業の老舗とんかつ屋です。創業者が、豚肉の揚げたものを『トンカツ』と命名したということでも有名です。しかも、 “トンカツの元祖店である”ということも一部では言われています。

が!それは大きな間違いです。小生のレポートを熟読されている方なら、もうお分かりのはず。そうです。『トンカツ』の発祥は銀座の「煉瓦亭」で、元祖は上野御徒町の「ぽんち軒(※ぽん多本家)」です(※さすらい地元メシ<銀座>10.02.06号参照)。

これは、文献に基づく不動の今日の見解となっており、そこに創業の古さからくる噂話程度では入り込める余地などないのです。ただ、その名付け親であったということは、どうやら本当のことのようです。

そうですネ!あの“名古屋のあんかけスパ”において、その発祥が「そ~れ」、元祖が「ヨコイ」、そして、その命名者が「からめ亭(※本山のソール)」ということと、ちょうど同じですネ。(※あのネ・・・メジャーな「トンカツ」の話に、マイナーな「あんかけスパ」ですか?どうかと思いますヨ・・・あ・あ・あ・・小生、あんかけスパ探検隊隊長もやっているものですから、その使命感からついつい・・・失礼致しました。)

それと、この店の紹介をもう一つ、「王ろじ」という摩訶不思議な名前です。これは、創業者が“路地裏(ろじうら)の王様”を目指して命 名したものなのだそうですが、ここ新宿では、都市整備が進み、今では“路地裏”というには相応しくない所になってしまっています。これ も時代の変遷から来る“違和”なのでしょう。

ここの名物は、何といっても「とん丼」。“とんかつ丼”とでも言うのでしょうが、中身は、正に“カツカレー丼”です。

しかし、中身のトンカツが違います。大きいというのか、丸く分厚いのです。これは、薄く切った豚肉を幾重にも巻きつけて棒状にしたものを、低温でじっくり時間をかけて揚げて(※メニューに12分間お待ち下さい、という案内が記載されている。)、3つにカットしたものなのだそうです。

※ついでながら「カツカレー」について少し説明です。「さすらい地元メシ<入谷>10.04.18号」でも記載致しましたが、“カツカレーのルーツ”は、大正6年創業 の「河金」と言われています。しかし、これは和風丼めしの領域を出ていなく、現在の洋食スタイルの“カツカレー”は「銀座のスイス」で生まれたものです。(※ さすらい地元メシ<銀座>10.02.09-10号参照)

最初に“王ろじ漬”という漬物が出されます。薄切り大根の酢漬けですが、にんじんやピーマンも入っています。それに手をつけないで、待 つこと十数分。やっと小生の前に登場です。

何故か、丼と下の皿はくっついています。

3つの分厚いトンカツが背中合わせにそそり立つ姿は圧巻です。その麓にご飯を隠すほどのカレー。しかも、そのカレーにソースがかけられています・・・

そう言えば、小生が幼少の頃、日本人はカレーにはソースを必ずかけたものでした。それだけカレーの完成度が低かったためです。すると、ここのカレーも・・・?少し心配です。

これは、めちゃ美味!です。ただの分厚い肉ではなく、スライス肉の塊であることが功を奏しているのでしょうが、何せトンカツが柔らかい。 スプーンで簡単に切り取れます。しかも、衣がサクッサク。歴史に積み上げられた奥義を感じます。

それに、カレーの味わい深さ。ピリ辛さもさることながら、和風だしのコクのある風味。また、それを更に引き立てるソースの旨味。その単調さを防ぐ付け出しの“酢漬け”の存在。そのすべてがパーフェクトマッチです。いや~、美味しい!!です。

https://goo.gl/maps/WgFkmnZp6d5AXCC78

・・・

この後、お約束通り近くを散歩です。この近くにある「新宿御苑」に向かいます。

新宿御苑 ※入園料¥200

https://goo.gl/maps/kqdNDrCewK248VNA8

新宿御苑(しんじゅくぎょえん)は、東京都新宿区と渋谷区に跨る環境省所管の庭園である。もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地である。

1879年(明治12年)に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなったが、第二次世界大戦後は一般に公開され、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。2006年(平成18年)に、「新宿御苑」の名を冠してから100周年を迎えた。大正天皇・昭和天皇の大喪の礼が執り行われた場所でもある。

新宿御苑 新宿門

御苑内は約58ヘクタールのスペースに「日本庭園」、「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」を組み合わせており、樹木の数は1万本を超える。桜は約1300本あり、春には花見の名所として大勢の観光客で賑わう。日本さくら名所100選に選定されている。

イギリス風景式庭園
確かこの辺りが、ハンカチ落とし会場では・・??
フランス式整形庭園
素人カメラマンがたくさんいます。

「玉藻池」を中心とする回遊式日本庭園は、内藤家下屋敷の庭園『玉川園』の遺構であり、安永元年(1772年)に完成した。 御苑内の施設は1945年(昭和20年)5月の空襲で大きな被害を受けたが、戦災を逃れた建造物も残る。

内藤家の庭園「玉川園」
新宿御苑のルーツです。

旧洋館御休所 天皇や皇族の休憩所として1896年(明治29年)に建てられた洋風木造建築で、国の重要文化財に指定されている。

国の重要文化財「旧洋館御休所」

旧御涼亭(台湾閣) 皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として1927年(昭和2年)に建てられた中国風木造建築で、東京都選定歴史的 建造物に指定されている。※Wikipedia

日本庭園
奥の建物が「旧御凉亭」

小生、実に38年ぶりの訪問です。学生時代に、他の女子大との『合ハイ』で来て以来です・・・

『合ハイ』?・・・若い皆さんには、聞き慣れない言葉だと思います。そこで、『合ハイ』について説明です。

合ハイとは「合同ハイキング」の略で、複数の男女が一緒に行くハイキングのことである。目的は男女の交流を深めることにあるため、ハイキングといっても公園にみんなで行くといった程度のものまで含まれた。合ハイは主に大学生が行い、学生言葉として普及している。しかし、昭和後期に入ると合コンが主流となり、合ハイという言葉も死語となる。※日本語俗語辞書HP

そうなんです、もう死語なのです。小生の、あの美しい青春時代も遠い彼方に去ってしまったようです。

しかし、小生、その時のことをあまり覚えていません。ただ、だだっ広い芝生の上で、“ハンカチ落とし”に興じた記憶だけです。“ハンカチ 落とし”とは、また可愛いでしょう?当時の学生たちの真面目さが窺えますネ。

でも、当時『合ハイ』には『合コン』が付きもので、当然その夜は、新宿歌舞伎町で“大人の飲み会”が開催されたわけです。

残念ながら、その時の記憶も曖昧です。ただ、前に座っていた、三島出身の可愛い女子大生(※名前は忘れました)のことは覚えていますが・・・ 何せ、後日渋谷デートしちゃったもんネ!そんな青春真っ只中の思い出の地を散歩します。しかし、ちょっと蒸し暑いナ・・・

コメント