<2日目> 2011年9月18日(日)
さすがに昨日の嵐の中での歩行がキツかったようで、午前7時過ぎまで熟睡です。えっ?それでも早い方?・・・毎度申し上げておりますが、歳をとってくると長く寝ることは至難の業です。
もし、あなたの周りのお年寄りが、いつもと違って、朝なかなか起きてこないことがあれば、そっと寝室を覗いてみて下さい・・・きっと、本人も気づかないまま天に召されている・・・かもしれませんヨ。
それぐらい、小生たちにとって長い眠りは“永眠”につながりかねないのです。小生、そんなことにならないよう、さっさと起床して、楽しみな朝食と参ります。
舟定屋本店
2011年9月18日(日) 今日の朝飯 は・・・
栃木・足利 「 舟定屋本店 」
元祖芋ようかん @¥700×1本


『ゲー!朝から芋ようかん?・・・』そんな不敬な感想を抱かれたあなた、思い出してください。「さすらい地元メシ(浅草)10.07.24」のレポート内容を。
小生、そこで「舟和本店」の“元祖芋ようかん”をご紹介致しました。その件(くだり)を再掲すると・・・
芋羊羹(いもようかん)は、サツマイモを主原料として練り上げ成型した和菓子である。
サツマイモを蒸して熱いうちに砂糖を練り混ぜ、四角形の型に押し詰め、冷やし固めるのが、一般的な製法である。サツマイモを蒸す代わりに茹でたり、砂糖の他に少量の塩や寒天などを添加することもある。
明治30年代前半、浅草寿町(現在の東京都台東区寿)で芋問屋を営んでいた小林和助が、処理に困っていたくず芋を有効利用するため、練り羊羹と一味異なった羊羹を造ろうと浅草の和菓子店「舟定」(1899年(明治32年)創業)の二代目・定吉に持ちかけ、共同開発により「芋ようかん」を完成させた。
その後和助は、定吉のもとで芋羊羹の作り方を学ぶと共に和菓子職人としての修行を積み、のれん分けにより独立。和助は「舟定」と自分の名「和助」から一文字ずつをとり、1902年(明治35年)浅草一丁目に「舟和」を創業した。
なお、定吉と和助が「舟」の字を用いたのは、二人が共に船橋町(現在の千葉県船橋市)出身であったことに由来する。
その後定吉は家族と共に足利町(現在の栃木県足利市)に移り住み、「舟定」は足利に移転した。※Wikipedia
そうです。今をときめく「舟和」の浅草銘菓“元祖芋ようかん”と源を一にする、こちらも“元祖芋ようかん”。
素通りするわけには参りません。昨日の足利徘徊時に購入したというわけです。朝食用となったのは、さすがに昨日は“デンプン”の過剰摂取で、買ってはみたものの、これ以上は・・・?という次第です。
『それでも朝食用にする?』 ・・・仕方ありません。今日も“デンプン”オンパレードで、先を考えると・・・朝にしかチャンスがないのです。(※それじゃあ土産に持って帰ればイイのに・・・ いいえ、この地で勝負?したいのです、いや、しなければならないのです!・・・あんた、チョット頭が変ですヨ)
小生だって、朝から甘いものは好みではありません。しかし、口にしてみると・・・思いのほか美味です!

浅草の「舟和」のものは、艶のあるウエッティな上品な仕上がり。それに比較すると、かなりドライで素朴な作りとなっています。それだけに、サツマイモ本来の美味さが直接的に感じられる逸品です。
後味のそこはかとない甘さが、次の“頬張り”を誘う・・・そう、世の女性たちを虜にして離さない、あの「焼き芋」の不思議な魅力を持ち合わせていると言えるでしょう。
小生、考えます。“芋ようかん”が浅草で初めて創られた明治の頃には、きっと、このようなシンプルなものであったに違いない。それが・・・浅草「舟和」のものは、大都会で次第に洗練されたものに進化し、ここ「舟定」のものは、田舎であるが故に頑なに最初の味を守り通すことができた、ということではないのか?・・・
いずれにしろ、小生、こちらの足利「舟定」の“芋ようかん”に軍配を上げたいと思います。(※えっ?やっぱり田舎者は田舎っぽいものが好きなのネ、だって?・・いいえ、都会人だからこそ本物が分かるというもの。現に浅草は、田舎者と中国人で溢れかえっているではないですか・・・? 中国人に責任はないでしょう?・・・)
しかし、いくら美味しいからといって、これを丸々1本は無理です。半分で止めておきます。(※だから半分?・・信じられない!)それに、この後すぐ昼飯ですからネ。(※!!…)今日中に冷蔵庫に入れれば大丈夫らしいので、残りを丁寧に包装し直し、かばんに納めて・・朝飯終了です。
・・・
10時36分、桐生駅から「わたらせ渓谷鉄道」に乗り込みます。でも、“わたらせ渓谷”の観光ではありませんヨ。先ほども申し上げた通り昼飯のためです。観光客をどっさり乗せた列車は、6分ほどで「相老駅」に到着。小生一人だけ降車で、そこから黙々10分の徒歩行軍です。で・・・

コロリンシュウマイ
2011年9月18日(日) 今日の昼飯前のつまみ喰い は・・・
桐生・相老 「 コロリンシュウマイ 」
コロリンシュウマイ10個 ¥250


この“コロリンシュウマイ”・・シュウマイと名前は付いているもののシュウマイではありません。
主原料が、北海道産の男爵馬鈴薯のでんぷんで、そこへ炒めた玉葱やラードを加えて練りあげ、加熱したもの。そのつるつる艶々の“コロリンシュウマイ”に、酸味のあるソースをかけ、さらに、お客自身で青海苔をふれば出来上がりです。シュウマイというよりは、“たこ焼き”のようです。


爪楊枝に刺して食べてみると・・・ふにゃふにゃとした食感で何とも不思議な感じです。味わいの方も・・・シュウマイでもなく、たこ焼きでもなく、間違いなく“じゃがいものでんぷん”そのものです。その淡白な味に合うように、ソースもやや辛め。美味しいような、不味いような・・“変な喰いモノ”です。
でも・・・今日も・・・朝から“デンプン攻撃”にさらされています。どうやら、この“両毛地方”・・・芋と小麦しか採れない「デンプン 地帯」のようです。この地域の人々が“イモっぽい”のも、そんなところに所以があるのですネ・・・???
・・・
続いて、昼飯?会場に移動です。近くの「うどん屋さん」です。が、時間はまだ午前11時5分前、“準備中”の看板が大きな顔をして行く手 を阻みます。仕方なく、店の前で待たせてもらうことに・・・
今までそのような酔狂な客はいなかったようで、店内からお店の人が時々顔を出し、何やら気にしているようです。
『だったら、早く開けろっ!ってンだ!』と捨て台詞を心?の中で言っている間に、午前11時となりました。店の人がおもむろに暖簾をか け、オープンです。
川野屋本店 あいおい店
2011年9月18日(日) 今日の本当の?昼飯 は・・・
桐生・相老 「 川野屋本店 あいおい店 」
つけ汁カレーうどん ¥600

昨日の佐野の“耳うどん”のように、北関東は地元の小麦粉を使った“うどん”を食べる文化があります。
特に、この桐生は盛んで、1992年(平成4年)3月に発足した「桐生手打ちうどんうまかんべ会」や、1998年(平成10年)9月に発足した「桐生うどん会」は、桐生市とその近郊に所在するうどん店や製麺所によって組織され、新商品の開発などを行っています。

その「桐生市」が、最近新しい「ご当地グルメ」を売り出しているとのこと。それが、この“つけ汁カレーうどん”なのです。特に、この「川野屋本店あいおい店」はTV等での露出が多く、この「ご当地グルメ」の代表店格となっています。


『自家製のカレールーに隠し味として天ぷら油を入れ、和風だしとエビのエキスで芳醇な味わいであるのが特徴。』とのことですが、やや水 っぽく感じられるカレーです。
しかし、うどんの方は、もっちりとしてかなり腰があり、相当上等な麺の仕上りです。『さすが、桐生うどん!』つけ汁カレーの平凡さを打ち消すほどの美味さです。満足で~す。
※閉店 仲町の本店も含め廃業
・・・
急いで「相老駅」まで戻り、再び「わたらせ渓谷鉄道」に乗ります。今度は、観光目的の列車旅です。車窓から見える渡良瀬川が作りだす沿 線の美しい景色・・・楽しみです。
わたらせ渓谷線(わたらせけいこくせん)とは、群馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤(まふじ)駅に至るわたらせ渓谷鐵道が運営する鉄道路線。旧国鉄特定地方交通線の足尾線を引き継いだ路線である。通称は「わた渓(わたけい)」、「わてつ」。
わたらせ渓谷線は、路線名の通り、渡良瀬川上流の美しい渓谷に沿って走る。ディーゼルカーが何度か渓谷を渡りながら谷筋を遡り、特に初夏の新緑と秋の紅葉の風景が絶品とされる。ハイシーズンにはトロッコ列車が運行され、風に当たりながら渓谷美を堪能できる。一方、最上流部の足尾近辺では、過去の歴史的な鉱毒被害(足尾鉱毒事件参照)の影響により未だ禿山が連なり、異観を呈している。
足尾銅山から産出される鉱石輸送のために足尾鉄道が敷設した路線である。鉱石輸送は国策上重要であったことから1913年には全線が国によって借上げられ、1918年には買収、国有化された。
最盛期には、国内の銅産出量の4割を誇った足尾銅山も資源の枯渇により1973年に閉山され、その後も輸入鉱石の製錬が継続されたものの、1986年にはそれも縮小され、足尾線による鉱石、精錬用の硫酸の輸送も廃止された。
銅山の衰退と歩調を合わせるように、足尾線の輸送量も減少を続け、1980年の国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定された。1989年にわたらせ渓谷鐵道に転換された。※Wikipedia
が、「相老駅」に停車した列車を見て、小生、唖然です・・・ここまで来る時は2両だった編成が、たった1両しかない・・・しかも、東京 のラッシュアワーを思わせるほどの満員状態。景色を楽しむどころではありません。自分の立ち位置確保に必死です・・・
すし詰め状態のまま、列車は出発します。小生、ここで大変なことに気がつきました。列車内が、蒸し器の中にいるように超蒸し暑いのです。 確かにエアコンの吹き出し音はしているのですが、まったく冷気が感じられません。かなり古いディーゼル車です。外も真夏並みの気温です。 それだけ、能力を超える乗客を収容してしまっているのです。
当然のことながら、小生、見る見る内に汗まみれです。今回の旅Bで2度目です。今度は着替えもありません。『ヒーッ』・・・“デ〇を殺す にゃ刃物はいらぬ。暑さ3日も続けばよい”・・・『わたらせ渓谷鉄道車内ガマン大会』のスタートです。
最初に脱落したのが、小生の横で必死に吊革にしがみついていた素人カメラマンの初老のおじさん。何もない駅で、慌てて降りて行きます。 『運行本数が少ないので、あとが大変なのにネ・・・お気の毒』
「大間々駅」「上神梅駅」「水沼駅」「花輪駅」「神戸駅」と観光スポットを抱える主要駅で、徐々に乗客は降りていきます。しかし、空いてい るという状態ではなく、まだかなりの人数が残っています。
その中に、特に目につく一団がいます。小生の前にどっかと座って、会話をすることもなく、ただただ狸寝入りをかましている若い男たちで す。
その独特の風情から、「鉄道マニア」に違いありません。それも、どうやら「乗り鉄★1」と言われる“オタク種”に属する生き物のようで す。
★1:鉄道マニアのうち、特に鉄道に乗ることを目的とする人々を示す言葉。JR全線乗覇(乗りつぶし)や片道最長距離切符への挑戦、新規路線や新車の一番乗り等をする者を言う。※はてなキーワード
しかし、何が面白くて乗っているのでしょうネ。外の景色に何の興味も示さないし、仲間同士で会話を楽しむこともありません。ただただ、 じっと座っているだけ。気味の悪さは、このあたりからきているのでしょうネ。(※えっ?あんたも同類って?そんなことありませんヨ。小生は単独行 動ですから・・・そこだけかいっ!)
・・・
午後1時23分、1時間20分間もの“満員電車汗かき旅”を終え、列車は定刻通り「通洞駅(つうどう)」到着です。車窓からの観光が台無 しになったので、今日唯一となる観光スポット訪問です。
足尾銅山観光 ※入坑料800円

足尾銅山(あしおどうざん)は栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾地区)にあった銅山(鉱山)。「足尾銅山跡」として国の史跡に指定されている。
1550年(天文19年)に発見と伝えられているが、本格的に採掘が開始されたのは江戸時代からである。当時、足尾銅山は大いに栄え、足尾の町は「足尾千軒」と言われるような発展を見せ、当時の代表的な通貨である寛永通宝が鋳造されたこともある。
その後一時採掘量が極度に減少し、幕末から明治時代初期にかけてはほぼ閉山状態となっていた。
足尾銅山の将来性に悲観的な意見が多い中、1877年(明治10年)に古河市兵衛は足尾銅山の経営に着手、数年間は全く成果が出なかったが、1881年(明治14年)に待望の有望鉱脈を発見。その後探鉱技術の進歩によって次々と有望鉱脈が発見され、20世紀初頭には日本の銅産出量の1/4を担うほどの大鉱山に成長した。
しかし、急激な鉱山開発は足尾鉱毒事件★1に見られる公害を引き起こし、下流域の住民を苦しめることとなった。1973年(昭和48年)2月28日をもって操業を停止し閉山した。現在は足尾銅山観光などの観光地となっている。※Wikipedia
★1:足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)は、19世紀から20世紀の栃木県、群馬県の渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山の公害事件。明治時代後期に発生した日本の公害の原点である。足尾銅山鉱毒事件と表記される場合も多い。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。※Wikipedia
トロッコ列車で、一気に鉱山内部に落ちていきます。そこから徒歩で坑内を見物です。

坑道の総延長距離は1,200㎞以上あるそうですが、その一部を使って「動く人形による足尾銅山の歴史展」となっているわけです。まあ、よくある展示方法ですネ。あまり興味が湧かないので、前の人を次々と追い越し、超特急で「足尾銅山観光」終了です。


時間があったので、周辺をブラブラしていると・・・今いる所よりかなり高い場所に架かっている「通洞大橋」という赤い橋が目に入ります。そこへの急階段も小生の前に用意されています。

このシチュエーション・・・登らないわけにはいきません。来る時の満員電車で体力もかなり消耗していたのですが、性分だから仕方ありません。小生の旅Bに毎回付きものの“心臓破りの階段走破”、今回もこんなところで遭遇です。
毎度そうなのですが、周りにこんなに大勢観光客がいるにも拘らず、誰もそこに登ろうとする人がいません。あの、何にでも興味を示す一般観光客が・・・ですヨ!不思議な現象です。(※そんなモノ好きは、あんた以外にいないということ、なのにネ・・・)

・・・
それでも、予定していた時刻よりかなり早く「通洞駅」に戻ってきました。すると、駅員さんが、ホームから何やら小生に盛んに声をかけています。
「えっ?・・・」「トロッコ列車がすぐ来ます。早くして下さい!」「トロッコ列車?・・・」どうやら、この「わたらせ渓谷鐡道」の最大最上の観光素材である「わたらせ渓谷鐡道トロッコわたらせ号」が到着するところのようです。

1日1往復だけしか走っていないとのことなので、結構ラッキーなのかも。駅員さんのあの張りきり様も分かるというもの。通常運賃に500円プラスですが、躊躇なく乗り込みます。
トロッコ列車部分は満席とのことで、通常の客車に案内されます。来た時と違って、列車はガラガラ状態。好きな席にゆったり座れます。プラス500円の価値があるというもの。それに、あの気味悪い「乗り鉄くん」たちもいませんしネ・・・
・・・
「大間々駅」で乗り換えて、「桐生駅」に帰着したのが、午後4時36分。夕飯には少し?早いのですが、徒歩で目指すお店に向かいます。 15分ほどで到着ですが、ここもまだ暖簾がかかっていません。少し待たなければなりません。
・・・が、昼飯のうどん屋さんとは少し様子が違っています。小生ひとりが待っているわけではなく、すでに大勢の人達が行列を作っています。『さすが、桐生で一番の有名店!』名前を記帳し列の後方へ。
午後5時ジャスト、お店が開店しました。次々に客が店内に案内されていきます。余程席数の多い大きなお店のようで、小生も最初の案内で無事着席です。で・・・
志多美屋(したみや)本店
2011年9月18日(日) 今日の晩飯 は・・・
桐生 「 志多美屋(したみや)本店 」
元祖桐生ソースかつ丼:ソースカツ丼(ロース) ¥1,070

この「志多美屋本店」は、創業が80年を超える桐生一の人気の老舗有名店です。“桐生ソースカツ丼”の元祖店でもあります。

こういった田舎にあるお店にはつきものの話ではあるのですが、ここもご多聞に漏れず“ソースカツ丼そのもの”の発祥を謳っています。
が、何度も申し上げておりますが、それは真っ赤なウソです。“ソースカツ丼”の元祖は、東京・早稲田鶴巻町にあった「ヨーロッパ軒(※現在は福井市)」。これは、学術的にも決して曲げることのできない“事実”です。小生たち「KATUDONIST(カツドニスト)」 (※また勝手に名前付けヤあがって…)にとっては、『太陽は東から昇る』と同じくらい“常識”なのです。
所詮、この店の創始者が東京あたりで食べた“ソースカツ丼”を真似て、この桐生地方で最初に始めたという程度のことと思われます。 ここ桐生は、芋と小麦の文化です。当時このようなハイカラなものが発祥するような素地は決してないのです。断じて、です。
でも、この店の人気は凄まじく、次から次へとお客がやってきます。やはり、芋とうどんと焼きそばしかない土地柄です。たまの家族団らんでのディナーに“ソースカツ丼”を選択するのも分かるような気がします。(※完全に桐生人をバカにしていますネ)
順番に調理をしているらしく、小生の前に“桐生ソースカツ丼”の登場まで、30分ほど待たされました。当然のことながら、この店の女子 高生アルバイトさんたちは、小生からの叱責を浴びたのは言うまでもありません。(※田舎の純真な女の子を苛めちゃダメよ!)


“オリジナルのソースはウナギの蒲焼きがヒント”らしいのですが、左程の甘さはなく、適度な味加減で納得の美味しさです。
豚肉も「老舗トンカツ屋」らしく厚めのもので、柔らかく食べごたえある逸品です。ここの人気は、デンプンに飽きたというだけではないようです。十分美味しい“ソースカツ丼”です。
・・・
「桐生駅」に戻ったのが午後6時頃。帰りの電車の時刻まで30分ほどありますので、「両毛地方」らしく「デンプンご当地グルメ」で最後を飾ります。
味処 ふる川
2011年9月18日(日) 今日最後?の晩飯 は・・・
桐生 「 味処 ふる川 」
“ひもかわ :もりひもかわ で打ち上げだ!” ¥740
+生ビール等=¥1,700


“ひもかわ”は、群馬県桐生地方に伝わる幅広麺のうどん。群馬は有数の小麦の産地でもあり、その歴史は古い。きしめんのルーツでもある 「芋川※(いもかわ)うどん」がなまったものとも伝えられる。※三河国芋川(現在の愛知県刈谷市)
もとは「おっきりこみ」という群馬の郷土料理に使われた麺で、その太さは店により1.5センチから10センチのものまである。幅は広いが厚みは1ミリ程度と薄く、つるんとしたのど越しも特徴のひとつ。冷たいざるうどんから温かいうどんまでその食べ方は様々。TVなどで紹介され、特に注目を集めた10センチ幅の麺は、桐生市内の「ふる川」ほかで食べられる。※ぐるたびHP
愛知県刈谷市が昔「三河国芋川」と呼ばれていたのには驚きです。道理で今でも“芋臭い”と思っていましたが・・・昔の人は上手い こと言ったものです。えっ?刈谷を歩けなくなる、って?そうですか・・・ま、そんな田舎、行くことはないですからイイです。(※…!)
だから・・・弊社親会社の営業店があるのです。刈谷の方々に一味違う都会的センスをお届けしたい、洗練された都会生活をおくって もらいたい、との一心で出店したと聞いておりますヨ。えっ?嫌味ダブル?・・・これ以上のコメントは差し控えたいと思います。
話を“ひもかわ”に戻します。解説の通り10センチはある麺幅の上、「絹粉」を加えてあるのか表面がつるつるしており、実に食べづらい・・・ というか、ここまで幅広にする必要があるのか?素朴な疑問を抱きつつ、苦労して頬ばります。


すると、つけ汁の味付けもさることながら、麺の完成度の高いことに驚きです。粉臭さは一切なく、むしろ味わい深い美味しさです。連続の夕飯ですが、楽に喉を通っていきます。それに・・・ビールもどんどん進みます。『両毛地方のデンプン文化に乾杯!です。』
・・・
午後6時35分、桐生よりJR両毛線を更に西進し、終点の「高崎」より新幹線で東京に戻ります。自宅到着が午後9時20分過ぎ。胃腸の方 は全然大丈夫ですが、足がかなりの疲労でダメージがきついようです。
新品のトレッキングシューズと、あの嵐の中での無理な歩行がいけなかったようです。『次回までに慣れておかないと・・・』反省のない感 想をよそに、次なる旅Bに意欲を掻き立てている小生であったのです。
これにて、『’11チョイ旅B(両毛)』完全終了です。
<今日の歩数> 14,651
<’11チョイ旅B 両毛>完了



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