<1-1> 2011年1月29日(土)
昨年の11月13-14日のチョイ旅B以来、自粛致しておりましたが、久しぶりの旅Bに出かけます。

kacco
えっ?何故自粛していたか?・・・それは、段々寒くなってきていたし、あまりにも頻繁な実施に、皆さんの冷たい視線も気になっていたし・・・まあ、小生、寒いのや冷たいのが苦手なもので・・・何せ、8月生まれなものですからネ。
しかし、ストレスも限界に達しています。その解消ということで、遂に出かけることにした次第です。(※嘘を言うんじゃない。ストレスはもっと繊細な人に存在するもので、あんたの辞書にはストレスという文字は存在しない!)
今回は、今年最初の旅Bでもあり、まだまだ寒い季節でもあるので、遠慮がちに?東京近郊の埼玉県に狙いをつけ徘徊です。それでは、始まり始まり~。
・・・
まず地下鉄を乗り継ぎ、上野に到着です。 この「上野駅」は、何と言っても、かつての“集団就職の到着場所”として有名ですが、今でも東北地方からの人々の受入窓口として立派に機能しています。
そのためか、駅構内は、かなりの増改修を繰り返しキレイになっています。が、ところどころに“田舎臭さ”も感じられ、まるで『東北地方の空気』が流れ込み、滲みだしているかのようです。おしん!<※意見には個人差があります。>
ここから高崎線に乗り込み、「熊谷」に向かう予定です。が、車両故障等での朝からのダイヤ乱れにより、その列車が「上野」まで到着することができなくなってしまったようです。仕方なく宇都宮線で「大宮」まで行って、高崎線に乗り継ぐことに。
このような朝の交通トラブルは東京では日常茶飯事であり、通常ならばあまり動じませんが、次の「熊谷」からの「秩父鉄道」への乗り換えが心配です。果たして、大宮からの“高崎線快速アーバン”は、遅れを取り戻すことができるのか?・・・
やっぱダメでした。「熊谷」に5分遅れで到着です。「秩父鉄道」は時刻通り、軽快にその古ぼけた車両を「羽生」方面に運んでいってしまった後です。
駅員さんに聞いたところ、この後の列車は40分後とのこと。田舎電車そのものです。<※意見には個人差があります。>
しかし、はて困った・・・旅行案内所に行き、路線バスでのアプローチを模索しましたが、そちら方面は1路線しかなく、本数も秩父鉄道より少なそうです。諦めます。仕方なく、“ご禁制のタクシー使用”です・・・
で、「行田」到着・・・
古沢商店
2011年1月29日(土) 今日の遅めの朝飯 は・・・
埼玉・行田 「 古沢商店 」
行田フライ ¥300 ※お茶はセルフサービス


タクシーの運転手さんが、お店の近くに降ろして下さったので、その店をすぐに発見。
小生の幼かった頃には良く見かけた“完璧な駄菓子屋さん”です。まあ、行田フライの成り立ちから見て、これが正しい姿なのでしょう。
行田フライ(ぎょうだフライ)は、埼玉県行田市の登録商標であり、行田市およびその周辺地区のご当地料理となっている鉄板焼き料理でもあ る。行田市民は単に「フライ」と言うと通常これを指す。同じく行田のゼリーフライと同じく軽食やおやつとして主に食べられる。

全国ブランド化事業の一つであり、キャラクターに「フラべぇ」という名称をつけてPRしている。
形態としてのせ焼きに似ているが、お好み焼きとクレープの中間の食べ物と形容される事もある。フライと呼びながらも油で揚げることはなく、鉄板で焼くのが特徴。
やや緩めに水で溶いた小麦粉を鉄板の上で薄く伸ばし、店舗によっても異なるが豚肉や長葱、干海老、切りいかなどお好み材料を載せて焼く。黄身を崩した目玉焼き状の玉子を入れたり、キャベツを入れる店もある。
焼き上がりに醤油もしくはウスターソースを表面に塗り、青海苔を振りかける。生地を2つ折りにして、その中にウスターソースを浸した揚げパン粉を挟む店もある。
古くは、埼玉県の県北地域で「たらし焼き」、「水焼き」などと呼ばれていた、農家の子供達が鍋や小麦粉を持ち寄っておやつとして食べていたものとされる。通常は小麦粉を水で溶いただけの物だが、長葱を入れる場合もあった。
「フライ」の命名者は行田市天満の古沢商店の初代店主といわれている。 1925年(大正14年)に近くの足袋工場で働く女性工員に、休憩時のおやつとして出し始めたのがきっかけとされ、当時はフライ焼きと呼ばれていた。
手ごろな値段で手軽に食べられて、なおかつ腹持ちがよいことからファーストフードとして親しまれ、多くはこれら女工たちの手を経て地元家庭や市内飲食店に広まって行ったとされる。
後に「フライ焼き」から「フライ」へと名前が省略された。なお、行田市の足袋工業の発展と共に広まっていったことから、布が来ると書いて「布来(フライ)」、足袋工業の発展が富をもたらしたとして、富が来ると書いて「富来(フライ)」などと当て字をすることがある。※Wikipedia
思った通り、この店は女主人がひとりで切盛りしています。富士宮の“しぐれ焼き”の駄菓子屋「前島」と同じです。
しかし、「前島」のような元気の良いおばちゃんではありません。かなりの高齢で “老婆”といった方が失礼じゃないほど。(※それが失礼というものです。)
小生が入店しても、何の反応もありません。ただ、先に来ていたお客が注文したものをひたすら焼いているだけです。
「あの~、フライお願いします。」「・・・」まるで小生の姿が見えていないかのようです。「お婆ちゃん、フライだって」先のお客がフォローです。
「えっ?・・・いくらの?」メニューを見ると300円、400円、500円とあります。中に入れる具材で値段が違うようです。「じゃあ、300円ので」「・・・・」あとは、『言わずもがな』ということか・・・
待つこと5分。「ハイ・・・」と小生の前に差し出された“行田フライ”は、思ったより小さく、チョット安心です。・・・?今日は、このあとすぐに昼飯ですから。(※え~っ!!)
これは、正に“一銭洋食”です。小生がご幼少の頃(昭和30年代)に食した、いわゆる“お好み焼き”と言われていたもので、これが新聞紙で包まれて販売されていました。よく隣のおばちゃんが買ってきてくれたもんです。
しかし、小生、正直に言って、あまり美味しいとは思いませんでした。うどん粉臭く、味はしょう油?の味しかしなく、『妙に貧乏くさい食べ物だな(※この時代はみんな貧乏でしたネ)』と幼な心に思ったものです。
この“行田フライ”は、その当時のものと比べて、比較的とっつきやすく、お腹がすいていることもあり、普通に食べることができました。(※やっぱ失礼だわ。)
ただ、表面に塗ってあるソースの味が甘さを極端に控えたもので・・・だから・・・小生的には・・?かな。どうやらこの地方は、前橋・高崎方面と食文化的に繋がっているようです。
※閉店 何かあったのかな?心配です。
・・・
かねつき堂
2011年1月29日(土) 今日のかなり早い昼飯 は・・・
埼玉・行田 「 かねつき堂 」
ゼリーフライ ¥200
ふらい卵入り(小) ¥350
※お茶はセルフサービス
先ほどの「古沢商店」から歩いて5分程しか離れていないお店。少々早いとは思いますが、連続での『行田三昧』です。

お店は、少し廃れた門前茶屋といった感じですが、有名店らしく店内はほぼ満席状態。何とか、おばちゃん三人組のテーブルに相席させて頂きました。早速“行田ゼリーフライ”を注文。少しの躊躇もありましたが、行田フライも併せて発注です。

行田ゼリーフライは、埼玉県行田市で作られている食品の商品名であり、パン粉などの衣を使わずに素揚げしたおからコロッケである。

行田市の全国ブランド化事業の一つであり、「こぜにちゃん」というキャラクターを作りPRしている。
主におからと茹でたジャガイモを混ぜ合せ、つなぎに鶏卵を加えてコロッケのようにまとめて素揚げして作る。いわゆる「おからコロッケ」の一種で、軽食としてソースをつけて食べられることが多い。
ご当地グルメとして、行田市内各所においてスタンドやカウンター形式で販売されている。
価格は平均して1個100円程である。なお、行田以外の地域には普及しなかった。
ゼリーフライの由来は、行田市持田にあった「一福茶屋」(現在は閉店)の主人が、日露戦争で中国東北地方に従軍した際、現地で食べられていた野菜まんじゅうを基にアレンジしたものと言われ、店売りされた詳細な年代は不明なものの、明治後期には既に確認されている。
名称の「ゼリー」はゼラチンで固めた菓子の「ゼリー」ではなく、形状や大きさが小判に近いことから「銭富来(ぜにふらい)」と呼ばれていたものが訛り、「ゼリーフライ」に変化したと伝えられている。※Wikipedia
“ゼリーフライ”は、何とも微妙です。コロッケのような表面のサクサク感はなく、むしろベチャリとした食感で、中の具もおから主体なので淡白な味わいです。しかも、ソースが先程の店と同じで、甘さのないソース辛いだけの代物。美味しさとは程遠い・・・ですネ。
しかも、最悪だったのが“ふらい卵入り”。(小)を注文したのですが、それでも、やたらでかい。
周りを見渡すと、折り曲げてから食すのが良いようです。「これ、半分に折り曲げるんですね?」女将さん曰く「どちらでも構いませんヨ。ルールはありません。」とのこと。

すると、相席のおばちゃんが「私たちのは、具がいろいろ入っているので、最初からこうなっているだけヨ。」『あんたの頼んだ安いのは、具がないでしょう?だからヨ』そんな風に聞こえた小生は、心がひねくれているからなのでしょうか?・・・。
しかし、この食べものは一体何なのでしょう?小麦粉の味は存分に満喫できるのですが・・・なかなか喉を通っていきません。セルフサービスのお茶(※やはりここもそうです。)で流し込みます。
それに、このソース、何とかならないのかナ?・・・コク・深みとは大きく道が逸れて永遠に交わらない、そう・・・世間の男女のつながりのように、大きな溝がそこに横たわっている・・・そんなご当地グルメです。・・・残念!
・・・
「プチ旅B」ですので、もちろん『観光スポット』のご紹介も致します。
しかし、この「行田市」は、“フライとゼリーフライ”が最大最強の観光素材。あの代物だけなのです・・・
暗澹たる思いに駆られますが、その次に有名なものがあります。それが行田人が誇りと思い込んでいる『忍城(おしじょう)』です。もっとも、これ以外は、な~んにもありませんが・・・


忍城(おしじょう)は、埼玉県行田市にあった城。江戸時代には忍藩の藩庁が置かれた。別名は忍の浮き城、亀城。埼玉県の旧跡に指定されている。関東七名城の一つ。忍城水攻めは日本三大水攻めの一つに数えられる。(※備中高松城の水攻め 、紀伊太田城の水攻め 、武蔵忍城の水攻め)
1590年(天正18年)の小田原征伐の際、城主・成田氏長は小田原城にて篭城。家臣と農民ら3,000の兵が忍城に立てこもった。豊臣方の忍城攻めの総大将は石田三成。三成は、本陣を忍城を一望する近くの丸墓山古墳に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設した。
しかし忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。このことが、忍の浮き城という別名の由来となった。※Wikipedia
※この時の戦を小説にしたのが、和田竜による『のぼうの城』(のぼうのしろ)。2012年野村萬斎主演により映画化された。

「行田市」として、かなり力を入れている観光スポット。名古屋城のものを真似たと思われる『忍城おもてなし甲冑隊』なるイケ面軍団を組織して、さかんにピーアールしているようです。
現にこの日も城址内のあちらこちらに彼らが出没して、中学生の黄色い歓声を盛んに浴びています。が、小生、そんなものには一切興味が湧かない性質なので、あっさり観光終了です。
<チョイ旅B Vol.1>終了



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