<1日目-1> 2012年3月17日(土)
東京では、まだまだ寒さが続いています。しかし、陽の光には春の温もりが感じられ、季節のバトンタッチが近いことを予感させます。
啓蟄・・・土の中で寒さに耐え、じっと動きを止めていた幼虫が地面に這い出すように、小生も『旅B』に出かけたいと思います。 (※虫ネ・・・あんたにピッタリの比喩ですネ。ただ一言だけ付け加えなければなりませんヨ。虫の前に“害”という一文字です・・・)

海辺のあひる
今回目指す場所は、茨城県「水戸」とその南東の海沿いにある「大洗」です。茨城の「ご当地グルメの密集地」でもあり、短期間に多くのモノを制覇出来るメリットがあります。もちろん、お腹の調子にもよりますが、小生、只今絶好調!なので心配はいりません。 (※あんたの辞書に“胃腸の不調”という文字は存在しません。もしあるとするなら・・・それは、死期が寸前に迫った時なのでしょう・・・)
でも皆さん、不思議に思われているのではないでしょうか。『あんたのような大食漢が、夢のような町「水戸」を、何故今日までターゲットにしなかったのか?・・・』
小生、ここで頑強に反論です。「いいえ、昨年の春に行く計画でした!」とネ。それが・・・あの「東日本大震災」の到来です。全ての準備が無に帰した瞬間です。水戸・大洗は、大きな痛手を負い、観光客を受け入れる状況にはなかったのです。しかも、そこに通じる「JR常磐線」が長い間不通となっており、公共交通機関と徒歩だけが頼りの小生にとって、行きたくても行けない地になっていたんです。
あの「震災」から1年、余震はなおも続いており、危険な状態を脱したとは言い難いですが、水戸人の頑張りで、町もようやく平静さを取り戻したようです。
そこで小生、一大決心をして、昨年のプランを実施に移すこととしたのです。それは、取りも直さず『水戸の復興』に力を貸すということにもなりますしネ。大いに水戸人との『絆』を確かめ合ってきたいと思います。 (※あのネ、疫病神のあんたに何ができるというのですか?・・・逆に災いを持ち込むことにはなりゃしませんか、ってんだ!) では、何はともあれ出発進行!ということに致します。 (※・・・)
・・・
午前6時起床です。お天気は?というと・・・天気予報がズバリ的中して、朝から雨模様です・・・明日も回復の見込みはないとのこと・・・ 小生の『旅B』と『どしゃぶりの雨』・・・最近では、どうやら安い定食屋の“セットもの”のような関係になっているようです。
神様・仏様は小生のことについて、何か勘違いされているに違いありません。それとも・・・小生の不敬を戒めるために、わざと雨を降らしているのでしょうか?・・・
いくら穏便な小生でも、これでは・・・比叡山の天敵、あの織田信長のように神社・仏閣にいつ火をかけるかもしれません。が、小生、ここは謙虚に冷静に反省です。『そうか、今度神社・仏閣に遭遇することがあったら、必ずお参りすることにしよう!そんなにお賽銭が欲しければくれてやるワ!!』 (※雨からの脱却は当分無理のようです…)
・・・
午前9時ジャスト、上野駅から「特急スーパーひたち」が降りしきる雨を裂いて出発です。
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-JR東日本E657系電車
午前10時15分、雨の降り方が本気モードになっている「水戸駅」に定刻通り到着です。
昼飯までには、まだ早いので・・・といっても、小生の胃袋の状態のことではないですヨ。お店がまだ開いていない、というだけのことですが・・・駅構内にある、雨に濡れない「観光案内所」で情報収集に時間を費やします。

雨足は益々強くなってきています。しかし、もう時間になりました。雨の中を歩き出さなくてはなりません。使用頻度が極端に多いために、すっかりボロボロになってきた、あの金沢のローソンで購入した“折りたたみ傘”を差して出発です。
20分のずぶ濡れ歩行です。『旅B』の始まりに相応しい展開ですが、どうにもやりきれない気持ちです。もし近くに神社・仏閣があったなら・・・と、脳内が完全に“連続放火魔的思考”に支配されているうちに、目的のお店に到着です。
今までの「恨みつらみ」もすっかり晴れて、ルンルン気分で入店です。 (※放火魔というより精神分裂症ですネ・・・) で・・・
松喜吉(まつきち)
2012年3月17日(土) 今日の昼飯 は・・・
水戸・本町 「 スタミナラーメン 松喜吉(まつきち) 」
スタミナ冷し ¥700
水戸のご当地グルメの代表格“スタミナ冷し”の登場です。では、まずその説明から。
スタミナラーメンは、茨城県水戸市にある「松五郎」を本家とした、ご当地ラーメンの一品。太麺の醤油味。キャベツとカボチャとレバーをメインにした甘辛のあんかけがのっている。
ホット(汁有り)、冷やし(汁無し)の2種類があり、冷やしのほうが人気がある。冷やしといっても冷やし中華とは違い、冷水で冷やした麺に熱々のあんかけをかける。
スタミナラーメンは昭和40年代後半に勝田駅前にあった小さな「寅さんラーメン」が発祥の地である。緑黄色野菜と、レバーを使った「スタミナラーメン」は高校生に人気メニューとして定着。その後勝田の店を辞め、昭和58年に見和にスタミナラーメンの店「松五郎」を開店、その後、上水戸に移転。
平成9年に先代より暖簾他すべての権利を譲り受けた現在の親方、池田 睦氏は「スタミナラーメン」に独自の改良を加え、その人気を不動のものとし、常に行列のできる繁盛店に発展させた。
一方、人気が出るに従い、その味を真似た店、メニューを出す店が乱立し、現在、茨城県内では50件近くの模倣店が存在すると言われている。
池田氏が完成させた秘伝のレシピは、現在迄に池田氏が認めた4名の愛弟子にしか伝授されていない為、「松五郎」本店の他、そのレシピを修得、独立した弟子達が運営をする「松喜吉」「三四郎」「がむしゃ」以外では、 本物の茨城スタミナラーメンの味を食すことはできない。※Wikipedia

上記説明文に記述されている通り、この「松喜吉」は、本家筋に当たるお店です。でも何故本家の「松五郎」に行かないのか?・・・小生の習性をよくご存じの皆さんが共通して抱かれた疑問だと思います。
でも、それは簡単な理由からです。「松五郎」には、“店内撮影禁止”という理不尽なルールがあるからなのです。何が撮影禁止だ!記録されると困るほど、そんなに醜い仕上がりなのか?それとも・・・店主が・・・?
まあ、いずれにしろ気分の良い店ではなさそうなので、接触を避けることにしたまでです。でも、その弟子がやっているこの「松喜吉」も、そうなのでは?・・・そんな懸念も少し心を過りましたが、その時はその時で・・・まあ、構やしないから撮ってしまえばイイし、もし注意されたなら、知らなかったことにして「ゴメンちゃい!」すればイイ訳だしネ。
でも、幸いにして店内にそのような注意書きは貼り出されていません。堂々とミッションを遂行できそうです。
メニュー表に記載されているお店紹介によると・・・どうやらここの店主さん、元祖筋と言っても「松五郎」で長年修行して、苦労の挙句にお店を持った訳ではなさそうです。3ヶ月の短期集中で本家の味を修得し、すぐにこのお店を立ち上げられたとのこと。
無用の接点を極力避け、己を失わないようにしたことは、賞賛に値する行為であると思います。そこの誰かさん、少しは見習った方が賢明ですヨ・・・??

今日の1番客である小生の前に真っ先に“スタミナ冷し”が到着です。“あんかけ焼きそば”に似たお姿が、いかにも美味そうです。思う存分かぶりつかせて頂きます。

麺は太麺仕様で腰があり、“冷し”の名に相応しく、冷たい仕上がりです。が、上にかけられている“あんかけ”は途轍(とてつ)もなく熱々。そのアンバランスといったら・・・が、不思議なことに丁度イイ加減になっています。
しかも、その“あんかけ”の味わいは・・・ピリ辛満載の最高に美味しい味わいです。後から来店した隣の親子の様子では、このピリ辛さは子供たちにはハードルが高いようです。それだけパンチの効いた味つけである、と言えます。もちろん小生の大好物であることには違いありません。
ただ、皆さんに誤解のないように説明です。ただ辛いから美味しいというのではありません。そのベースになっている“あんかけ”がタダモノではないのです。“完璧な味つけバランス”とは、このことを言うのでしょう。
しかも、具材のレバーとカボチャのしっかりした存在感・・・その“あんかけ”と腰のある中華麺のハーモニー・・・・全てが完全無欠な味に昇華しています。
最近稀に見る“最高”の『ご当地グルメ』です!いや、恐れ入りました、また来たくなる美味しさでっせ!小生脱帽の水戸の珠玉グルメに大満足です。
・・・
この後、再び雨の中をトボトボとバス停に向かいます。すると不思議な光景を目にします。写真をよ~くご覧ください。

これは、関東鉄道バスと茨城交通の「柳堤橋」というバス停です。表と裏が反対に設置されています。時刻表等の重要事項が記載されている面が幹線道路側に向いていて、次のバスの時刻を見るためには、道路側に回らなければなりません。かなりの交通量で、命がけの勇気がいります・・・
誰がこんな悪さをしたのか?近所の悪ガキか?それとも、もう地方都市にしか生息していないと言われている不良高校生の仕業なのか?・・・真実は不明ですが、まあご苦労様なことです。このバス停、結構重いのに・・・そんな力があるのなら、他にやるべきことがあるのにネ。
例えば、福島第1原発のがれき処理とか・・・えっ?放射能は若い人には危険?・・・あのネ、こんなことをする輩には放射能は丁度良い効果があるの! (※あっ、それは人権無視だ!・・・あのネ、そいつらにはそんなもんはないの、遠い昔から・・・)
・・・
そんな不思議なバス停から関東鉄道バスで20分、更にそこから徒歩で15分、次なるターゲットを発見です。で・・・
金龍菜館
2012年3月17日(土) 今日の昼飯② は・・・
茨城県 水戸・米沢町 「 中国料理 金龍菜館 」
水戸藩らーめん ¥924
“水戸藩らーめん”・・・何とも不釣り合いな名詞2つの組み合わせなのでしょう。「水戸藩」 と「ラーメン」・・・一見何の関係もなさそ うですが、実はそこには、あなたの常識を覆す事実が隠されているのです。
それは・・・あの「水戸黄門さん」、日本で初めてラーメンを食べた日本人なのだそうです。 びっくり!でしょ。では、“水戸藩らーめん”について、詳しく解説です。
水戸藩らーめん(みとはんらーめん)は、茨城県水戸市で販売されているご当地ラーメンのひとつ。江戸時代に水戸藩主の徳川光圀(水戸黄門)が日本で最初に食べたといわれるラーメンを、再現した料理である。
光圀は、明から亡命してきた儒学者の朱舜水に学んでおり、外国の文化も積極的に取り入れていた。その中に中華麺も含まれていたと推測されることから、徳川光圀は日本で最初にラーメンを食べたと言われている。当時の記録には、小麦粉と藕粉(ぐうふん, レンコンの粉)で作った麺に色々な粉をかけた「うんどん」のような汁麺と記されている。
1697年には、隠居所の西山荘で、来訪した僧侶や家臣にふるまったとの記録もある。この説に基づいて新横浜ラーメン博物館では、水戸徳川家の葵の紋の入った椀に盛られた再現料理のレプリカを展示している。
なお、朱舜水は徳川光圀に招かれる前に、長崎で柳河藩(現在の福岡県柳川市)の関係者から世話を受けていたことから、日本のラーメン発祥の地は柳川との説もある。
現在の水戸藩らーめんは1993年に発売された。バブル崩壊後の町おこしとして、水戸市の製麺業者が再現を図った。 麺にレンコン粉を練りこむのと、「五辛」(ニラ、ラッキョウ、ネギ、ニンニク、ショウガ)という薬味を添えるのが特徴である。
レンコン粉が加えられているために、麺は全体に茶色で黒い点がある。五辛は漢方医学に由来しており、薬膳の性格を持つ。さらに、陰陽五行思想にもとづいて、叉焼など肉を具にする時には、肉と兄弟分とされるシイタケも添える。
スープの出汁や具に鶏や豚など肉類を使うが、徳川光圀は当時はタブー視されていた肉食を嫌っておらず、生類憐れみの令も無視したため、考証として必ずしも不自然ではない。
水戸藩らーめんは2009年4月時点では県内の9つの飲食店で提供されているほか、生麺を使った袋麺タイプのインスタントラーメンも土産用として販売されている。ただし、県内でもいまひとつ知名度は高くないとの評もある。県外では、京都の東映太秦映画村と東京三鷹市の中華料理店でも提供されている。※Wikipedia
水戸駅構内の観光案内所のオバチャンによれば、この「金龍菜館」が“水戸藩らーめん” を真っ先に復活させたお店だとか。現在水戸市内9店舗で取り扱われているそうですが、小生の性格上、ここ発祥店を外すわけには参りません。市街地からは遠く離れていますが、路線バスと徒歩で苦労してやって来た訳です。
えっ?ラーメンは除外ではなかったのか?って?・・・でも、「黄門さん」という曰くつきのものだからネ。一応「水戸」で黄門さんは外せない素材ですから・・・誤解のないように・・・


ここ「金龍菜館」は、幹線道路沿いにある、ごく普通の中華レストランです。平日には、ドライバーやサラリーマンのランチの餌場となり、土日祝日は、家族向けの“幸せ劇場の舞台”になっているお店です。
ですから、セットもののメニューが中心。が、その中に燦然と輝く『ご当地グルメ、水戸藩らーめん』の文字・・・早速注文です。

待つこと10分、「チャーハン&ラーメン」や「中華丼&餃子」等々のセットモノたちをかき分けて、小生の“水戸藩らーめん”、堂々の登場です。
係りのオバチャンの「五辛」の説明がひとしきりあった後、小生、迷うことなくその「五辛」を潔く全部投入です。そして、何のためらいもなく麺をすすり上げます。


レンコンが練り込まれているためなのか・・・普通の麺に比べて、ややモチモチ感が少ないような・・・

それに、スープは、単なるあっさり塩味系で、コクが全くありません。「五辛」の効果もさほど効いていないようです。“ラーメン消極的人間”である小生の好みを差し引いても、あまり美味しいものとは言えませんネ。「日本で最初のラーメン」・・・このような素朴なモノであったのかもネ・・・
・・・
再び路線バスで「水戸駅」に戻って来たのが午後1時過ぎ。ここでバスを「茨城交通」に乗り換えて、今日の最初にして最大の観光スポットに出かけます。「水戸偕楽園」です。
皆さんも、よ~くご存じ?の『日本三大庭園』の一つです。ちなみに、あと2つは、「金沢の兼六園」と「岡山の後楽園」です。
もちろん知ってますよネ。えっ?知らなかった?そんな庭園巡りの“爺婆趣味”はない!ですか?・・・それはそうなのですが、皆さんも、いずれ年老いて、そうなるのですヨ。それもかなり近い将来に、です。人生は短く儚いものなのです。 (※あんたみたいに、老い先短いのに人生をフル楽しんでいる人もホント珍しいネ・・・)
・・・
バスに乗り込む前、小生、賢い選択です。最近知恵が付いた「1日フリーキップ」の購入です。『水戸漫遊1日フリーキップ』という“黄門様も仰天”の名称が付けられていますが、料金400円で「偕楽園線」は乗り放題という優れもの。
「偕楽園」まで片道200円以上しますので、往復すれば、それで元が取れます。小生、この『元を取る』というセンテンスに異常に執着があります。主に「食べ放題」「飲み放題」時に最大限に発揮される訳ですが、結果的に『元を取る』以上の成果を得ることが普通です、ハイ。 (※あんたのような大喰らいに狙われた店は、たまったものではありませんヨ。『企画倒れ』というより『お店倒れ』になってしまいます・・・)
10分程で「偕楽園」に到着です。ここは、全国的に『梅園』が有名。毎年この時期は『梅まつり』が開催され、関東一円から多くの観光客を集めています。今年も、2月18日から4月8日までが「梅まつり」期間で、今日はまさに見頃のジャストタイミングと言えます。風流を解さない小生といえども、それはそれで楽しみですヨ。但し、この大雨を除いたら、という条件文が入りますが・・・
日本・茨城県水戸市にある日本庭園である。岡山市の後楽園や金沢市の兼六園と並んで、「日本三名園」の一つに数えられる。
広さは約13ヘクタール。100種3000本のウメ(梅)が植えられている。園内にはウメの異名「好文木」に由来する「好文亭」がある。
毎年2月下旬から3月下旬には、「水戸の梅まつり」が開催される。開催期間中には多数の観光客で賑わい、キャンドルライトを使って梅をライトアップする「夜梅祭」や茶会など様々な催し物が行われる。
1999年7月に隣接する千波公園などとあわせて名称を「偕楽園公園」とした。面積は合計300ヘクタールであり、都市公園としてはニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さである。現在は茨城県の県営公園となっている。
1841年(天保12年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園が開始され、翌年に開園した。 斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、弘道館で文武修行する藩士の休養の場とすると同時に、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいとして「偕楽園」と名づけた。
その名の精神により当初から毎月「三」と「八」が付く日には領民にも開放されていた。この精神を引き継ぎ、日本三名園では唯一、入園無料である。※Wikipedia
大雨ばかりが酷い仕打ちではありませんでした・・・梅が咲いていないのです。係員さんの説明では「四分咲き」とのことですが、小生の見たところ・・・四分もない。せいぜい二分三分といったところか?・・・
やはり、この時期でのこの寒さは異常です。「エルニーニョ現象」のため、日本列島に寒気が流れ込んでいるからなのだそうですが、「冬」は依然続いている様子です。
でも・・・このままいくと、4月の『桜まつり』に、梅と桜が乱れ咲き・・・なんて珍現象となることも考えられ、春の季節の微妙な移ろいは完全に消え去ってしまったようです。『 ♪春よ、来い はや~く、来い♪ 』
そんな状況ではありますが、この「偕楽園」を散策モデルコースに従って回ってみることに。標準散策時間は90分程度らしいのですが、小生、エンジンフルパワーで、その半分の時間、およそ45分で終了です。
<散策風景>




そして、高台にある本園に上がると…



庭園散歩の情緒もへったくれもありません。マップ片手に 『パリ・ダカ(パリ・ダカールラリー)』ばりの全力走行です。しかし・・・こんな大雨でも園内は何と観光客の多いことか。やはり、小生と同じように、その表情に失望の色は隠せませんが・・・
<梅林>






“二分三分咲き”とか言って、けっこう咲いてるじゃない!…皆さんの非難の声に応えましょう。
これは、業界的に「モンタージュ」といって、“咲いている所”だけ撮影してつなぎ、さもたくさん咲いているように見せかけるトリックです。騙されてはなりませんゾ。実際は、以下の通りです。


<’12 チョイ旅B Vol.1>終了




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