<1日目-2> 2012年1月19日(木)
次に“昭和の時代を再現した店舗が並ぶ商店街”を歩きます。若かった母が小生の手を引いて商店街に買い物に来ていた頃の記憶が甦ります。
♪母がまだ~若い頃~、僕の手を引いて~♪ さだまさし「無縁坂」の一節ですが、昭和とは・・・明日の希望の向こうに、もの悲しさも同居している・・・そんな時代です。う・う・うっ(涙)・・・
でも、この商店街・・・ひと気がありません。淋しさに沈んでいます。そんな昭和という時代のダークサイドな一面を象徴する商店街を、傘を片手に散策します。






この商店街の大きな特徴は、先の展示施設と違って、未だ現役ということです。つまり、今でも普通に営業をしていて、普通に住民が買い物に来ているというところです。繁盛しているかどうかは別としてですが・・・
実を言うと、小生もその買い物客の一人。ある目的をもってやって参りました。その目的とは・・・「豊後の肉巻きめし」です。そうです。あの宮崎の「肉巻きおにぎり」の親戚のような存在とか。小生、それをおやつ?に購入予定です。
宮崎と違って牛肉を用いるが、レタスを巻く点では宮崎のものに似る。昭和の町の金岡健康市場などで販売。※Wikipedia
が、「金岡健康市場」なる商店は、全体がビニールシートで覆われていて、営業している気配が全くありません。

そこで、隣の「肉のかなおか」という肉屋さんに尋ねてみることに。同じ「かなおか」なので、何か事情を知っていると考えたからです。でも、答えは・・・
「うちとは何の関係もないです。しばらく営業していませんので、もうやめたのかもしれませんヨ・・・」とのこと。 「こちらの肉屋さんにはないのですか?」なおも喰い下がります。「うちではやってないナ。ここらではやっている所・・・ないヨ。」との冷たいお言葉。
どうやら、この「豊後の肉巻きめし」・・・「金岡健康市場」とともに消滅の憂き目に遭ったようです。チ~ン!
不思議なもので、無いとなるとお腹が空いてくるものです。 (※悪いけど、あんただけです。)
この「肉のかなおか」で調達するしか方法がないようです。そこで、“昭和チック”なコロッケを1ケだけ購入です。で・・・
肉のかなおか
2012年1月19日(木) 今日のおやつ は・・・
豊後高田・昭和の町 「 肉のかなおか 」
おからコロッケ ¥52

この「昭和の町」の商店街には、昭和に因んだメニューや商品が売り出されています。もちろん観光客を目当てにしたものです。そのうちの一番安価なものが、この“おからコロッケ”。

しかし、小生、こんなチープな貧しいモノは喰ったことがありません。いくら貧乏人だらけの昭和30年代でも、小生の家の食卓に上がった記憶は皆無です。
どのようなモノか?については・・・強いて申し上げるなら、『プチ旅B(行田)11.01.29』で皆さんにご紹介した“行田ゼリーフライ”が、このおからコロッケの衣をつけずに揚げたものです。決して美味しいという代物ではなかったという記憶があります。今回も期待薄です。しかも、ソースをつけ忘れてしまっています。
商店街の休憩スペースで、こっそり頂くことにします。吐き出しても構わないですからネ。 (※あんたが、一度口に入れたものを吐き出す可能性はゼロです・・・)

揚げ方がかなり上手なのか、けっこうカリカリした衣で違和感なしです。おからの無味乾燥さもカバーしています。これにブルドッグソースでもあれば (※小生、東京モンですので、決してカゴメソースとは言いませんヨ)、かなり美味しくなること請け合いです。
・・・
“昭和チック”な貧乏くさい雰囲気にも飽きたので、あの淋しい「豊後高田バスターミナル」に戻ることにします。でも、時間的にまだまだ余裕があります。
雨は依然降り続いています・・・ふと喫茶店の店頭に掲げてあるPRボードに目が留まります。『昭和の学校給食』・・・数々のメニューも写真付きで掲示されています。が、懐かしさは感じません。
それというのも、小生たち昭和30年代の学校給食の定番、「カレーシチュー」というか、あの「カレーもどき」がないからです。通算で軽く300食以上は胃袋に納めたと思われるかんじん要のメニューがないのです。でも、バスの出発まで時間がありますので、時間潰しも兼ねて入店することにします。で・・・
ブルヴァール
2012年1月19日(木) 今日の夕食前のつまみ喰い は・・・
豊後高田・昭和の町 「 ブルヴァール 」
昭和の給食:揚げパンと鯨の立田揚げ ¥1,050


お客は小生一人だけです。が、他のテーブルでは、商店街の役員さんと思われる方々が、町の活性化について、盛んに話し合いをされている ようで、けっこう賑やかです。
小生のため、話を中断させられ迷惑そうな表情のオバちゃんが注文を取りにやって来ました。でも、メニューは16種類もあり、決断が鈍ります。
で、「注文は後で」ということで、“町の活性化の議論”に戻ってもらいます。面倒くさそうなオバちゃんの背中が遠ざかっていきます。
よし!じっくり考えよう!・・・なになに、「米飯給食」「ソフト麺とミートソース」「鯨のシチュー」「コッペパンとナポリタン」・・・おお!「脱脂粉乳」、当時の女子たちを随分と苦しめたものです。えっ?小生ですか?普通に美味しく頂きましたヨ。これぞ貧乏人の底力です。
・・・えっ?このメニューは?・・・「お酒がついた大人の給食」?「大分名物とり天給食」?・・・いくら観光地とはいえ、かなりの逸脱です。テンションが下がります。で、小生、結局メニュー№1の「揚げパンと鯨の竜田揚げ」の最も基本的なモノを選択です。
再び“町の大議論会”から外れざるを得ないオバちゃんが、準備にかかります。『オバちゃん、邪魔してゴメンなさいネ。でも・・・いくら議論しても、この有り様では、どうにもならないかもしれませんヨ・・・』
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小生の前に登場の「昭和の学校給食」、それなりのムードを醸し出しています。アルマイト(アルミ)の食器、デザートのみつ豆もどき(※みつ豆缶の豆がはいっていないもの)、瓶の牛乳(※これは小生、中学からです。以前はもちろん脱脂粉乳です。)・・・懐かしい気?がします。

でも、「揚げパン」・・・これは、学校で食べた記憶がありません・・・かなり新しいもの?のような気がします。それと「鯨の竜田揚げ」・・・これには少し覚えがありますが、学校給食というより家庭での“晩ご飯の献立”ですネ。

1982年(昭和57年)国際捕鯨委員会(IWC)の決議を受け、日本の商業捕鯨が停止して以来、高級食材になってしまったクジラ肉・・・昭和30年代に育ち盛りを迎えた小生たち世代の貴重なタンパク源となり、今こうして元気に生きていられるのも、これがあったればこそ!の“お鯨様”なのです。
ちなみに、当時の小生たち餓鬼どもが好んで食べたのは、“鯨のしょうが焼きと鯨のベーコン”です。今では、どちらも高級料理です。
そんな考えに耽りながら、黙々と平らげていきます。町の激論はまだ続いています。
えっ?味の方は、って?・・・揚げパンは、ごくごく普通ですし、鯨の竜田揚げは、高級食材だけあって肉が異常に薄く、味を云々する代物ではありません。よって、評価は省略です。でも、量的に小学生用?なので、お腹はまだまだ余裕がありますヨ。 (※・・・)
・・・
薄暗さと心細さを増した「豊後高田バスターミナル」を発ったのが午後5時15分。バスは、国道213号から10号へと変わり、西に西に向かいます。
幹線道路沿いに、他地域では見慣れない“テイクアウト専門”の小さな店舗が点在しています。定番のお弁当やおにぎりではなく、全て“からあげ専門店”です。何故なのでしょう?・・・では、その説明から。
大分県中津市は鶏肉のから揚げを好む人が多く、日本唐揚協会は“から揚げの聖地”としている。中津市以外でも宇佐市、福岡県京築、北九州、筑豊地区にも多くの「からあげ専門店」が存在している。
中津市からあげマップや団体・専門店の店舗名などを含め「からあげ」とひらがなで表記するのが一般的。当地におけるからあげの発祥は、宇佐市のトキハインダストリー前にある「来々軒」である。
戦後間もない頃に中国系の主人が養鶏場で規格外の鶏を処分していたのを安く譲ってもらい、「多くの人に安くお腹いっぱいになって欲しい。」とから揚げにして売り出したのが始まり。その後は同じ宇佐市四日市の「庄助」にから揚げの作り方を教える。
中津市に広がるからあげは「庄助」が教えたものも多く存在する。現在は宇佐市では市職員によって「唐揚げ探検隊」が組織されて市内のからあげ店を食べ歩いている。※Wikipedia
中津市及び宇佐市における「からあげ」の説明ですが、この地域の人々は、よほど「からあげ」がお好きなようで、人口の割に「からあげ専門店」が圧倒的に多く存在します。(※ただ、ケンタッキーは周辺に見当たりません。)
朝、昼、晩、夜食と、主食が「からあげ」なのではないかと疑うほどです。そう言えば・・・鶏顔の貧相な人々が多いのは、そのせいなのでしょうか?(※相変わらず失礼なお方だ。)
そんな「からあげ」好きな地域の中でも、燦然と輝いているのが、その発祥のお店「来々軒」。小生、そこを目指しています。
来々軒
2012年1月19日(木) 今日の晩飯 は・・・
宇佐・四日市 「 来々軒 」
元祖中津・宇佐からあげ:から揚げ定食 ¥700
この地域のから揚げの発祥店ということで、さぞ立派なお店だろうと想像していましたが、以外にも・・・普通の“地方町の中華屋さん”の様相です。店内にそれを誇る案内などは一切ありません。

宇佐人・中津人の主食ともなっている「からあげ」の生まれ故郷なのに、これでは地元人も気がつかないかもしれませんネ。現に、後から入ってきた宇佐人が、普通に「タンタンメン」を注文しています。
が、それを誇示する唯一のものが店の前にあります。『元祖 若鶏の唐揚げ 創業昭和39年 来々軒』と記した石碑です。

ただ・・・惜しいことに表記内容に誤りがあります。『元祖 若鶏の唐揚げ』ではなく『元祖 中津・宇佐の若鶏の唐揚げ』とすべきです。何故なら、「唐揚げ」は中華料理です。この田舎町の店が日本の元祖であろうはずがありません。
おそらく鎖国時代の長崎か、明治に入った頃の横浜・東京かが、日本における発祥地域と思われます。嘘はいけませんネ。
ただ、上記説明文にあったように、この地域では「からあげ」とひらがな表記するのが一般的になっていますが、この店では「から揚げ」と書かれてあります。こんなところに『プライド』の一端が窺えます。

見た目・・・普通のどこにでもある「唐揚げ定食」です。実は、小生、世間の貧乏人のように「唐揚げ」が大好きなタイプではありません。めったに食べる機会はありません。コンビニで弁当購入を余儀なくされた場合でも、「唐揚げ弁当」だけには手を出しません。
好物の揚げ物なんですが、「鶏の唐揚げ」だけは、何故か下位の方に位置づけられていて、めったに口にしません。ですから、あまり期待をしていないというのが本音です。

が・・・この「から揚げ」は美味いです。下味の九州の甘い醤油なのか、ニンニクなのか、ショウガ、ネギなどの薬味なのか、普通の唐揚げに比べ、味わい豊かです。
揚げの方も、しっかりした仕上がりでカラリとしています。北海道・釧路の「ザンギ」に近い味です。お腹が空いていたこともあり(※どんな胃腸?)、完食です。さすが!発祥店ですネ。
※やっと“発祥店”というお宝に気づいて、店名も少し変更し大改装した模様
・・・
雨の中を帰ります。が、ここ宇佐・四日市は鉄道が通ってなく、公共交通機関は、路線バスのみです。現在時刻は午後6時30分前。普通なら通勤時間帯です。
ですが、ここ宇佐の事情は大きく違っているようで、すでに終バスは行ってしまった後です。JRの駅まではかなりの距離があり、しかもこの雨です。徒歩での脱出も不可能のようです。仕方なく、“ご禁制のタクシー”を利用します。
・・・
「豊前善光寺駅(ぶぜんぜんこうじ)」からJRに乗り「中津駅」に辿り着いたのが、午後7時25分。雨は未だ降り続いています。結局今日1日、傘とともの旅Bとなりました。

結局、今日1日ず~と雨でしたネ。
あれだけ東京ではカラカラ天気が続き、小生自身も乾燥してカサカサになっていたのに (※それは乾燥ではなく、ミイラ化と言うのです。)、今日だけで、充分補強できたと思います。お肌の方も、何か潤っているような・・・そんな気がします。
今晩の宿「グランプラザ中津※5,200円」に早速チェックインして、この後の徘徊を自粛して、お肌の潤いを保ちたいと思います。では、また明日!
<今日の歩数>10,229歩
<’12旅B冬篇 大分 Vol.2>終了



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