<2日目-1> 2011年5月14日(土)
第2日目は、『旅B』には珍しく、ゆるゆるスタートです。ただ・・・歳のせいか、早朝に目が覚めてしまい、そのまま起床です。昼過ぎまで寝てしまって、大学の生物学の試験をパスしてしまった若い頃が嘘のようです。(※ちなみに、その単位は落としてしまい、卒業まで小生を苦しめることになったわけですが・・・)
で、楽しみにしていた朝食時間も早めることに。
元祖にくまき本舗 一番街店
2011年5月14日(土) 今日の朝飯 は・・・
宮崎・橘通西3 「 元祖にくまき本舗 一番街店 」
元祖肉巻おにぎり @¥300×3ケ ※前日購入


「B級グルメブーム」の発火点のひとつになったものが、この“肉巻おにぎり”。その元祖店で購入です。夕方18:00から翌3:00までの深夜営業でテイクアウトのみです。「おにぎり屋」にしては、何とも不思議な営業時間です。
きっと、宮崎のリーマン達は、“飲み”の後の〆に“ラーメン”でなく“肉巻おにぎり”を食べる習性があるのか?・・・それとも、遅く帰る後ろめたさから女房・子供の土産に“箱寿司”でなく“肉巻おにぎり”を買う癖(へき)があるのか?・・・ま、そんなことだと考えますが・・・ (※勝手に決めつけるナ!)
肉巻きおにぎり は、宮崎県発祥のご当地ファーストフードである。
豚肉を醤油ベースのタレに漬け込み、ご飯に巻きオーブンでじっくり焼いたおにぎり。1997年開業の「元祖にくまき本舗」が発祥のお店。1992年に西橘通り(ニシタチ)の居酒屋で、賄い料理として出されたものが原型である。
2011年2月現在様々な種類の肉巻きおにぎりが発売されており、チーズ肉巻きおにぎり、トマト肉巻きおにぎり、キムチ肉巻きおにぎりが売られている。※Wikipedia
実は小生、前夜購入時に折角だったので“ほかほか状態”のものを少し味見してみました。
その印象は『エバラ焼肉のタレで味付けした豚肉炒めを、暖かいご飯の上にのせて食べた時と全く同じで、なあ~んだ、この程度か・・・』というものでした。

しかしながら、一夜置いて冷ましたことで、その味は飛躍的に向上しており、“肉巻おにぎり”本来の深い味わいになっています。
昨夜の“ほかほか状態”の時には、仲の悪い中年夫婦のように互いにそっぽを向いていたご飯とお肉が、まるで新婚時代に戻ったかのように互いをしっかり包み込んで1つになっている・・・豚肉のタレがおにぎり全体にしみて、得も言われぬ一体味になっている・・・さすが“肉巻おにぎり”、美味しいです!
ただ、お米の炊き加減が悪いのか、水分が抜けてパラパラになったご飯(中心の一部)はいただけませんネ。是非改善してもらいたいもので す。
・・・
「肉巻おにぎり」と「ヨーグルッペ」で(※もちろんヨーグルッペをお茶代わりにした訳ではありませんからネ)、早朝から気分も上々ですので、早速 「宮崎市内観光」に出かけます。
と、言っても、市内にこれといった観光スポットがあるわけでなく、朝の散歩代わりに、“あの場所”まで参ります。ウン?あの場所??・・・・
・・・
「橘通り」を南へブラブラ歩きます。県木である「フェニックス」が中央分離帯に植え込まれ、南国ムードを醸し出しています。ここで、この後幾度となくお目にかかることになる、宮崎県の県木「フェニックス」について簡単に説明しますと・・・
「フェニックス」とは、カナリーヤシとも呼ばれているヤシ科の樹木。アフリカ西海岸、カナリア諸島原産なのでこの名がある。日本では東京以南で生育する。※Wikipedia

そうこうしているうちに、目的地に到着です。・・・あの「宮崎県庁」です。数年前までは、観光客がたくさん押し寄せ、宮崎一の観光スポ ットとなっていました。
あの「そのまんま東」こと「東国原知事(当時)」が公共放送を悪用して、全国に宮崎県を誇大広告した結果の“トンチキ騒動”だったので すが、任期満了に伴って、何と!自分の都合だけで、無責任にも東京に“トンずら”をかまし、宮崎県民を奈落の底に陥れてしまった事件は、 あまりにも有名な話。
おかげで、今では訪れる観光客も激減し、宮崎県民は、県賊「東国原」のイメージを宮崎の地から払しょくするため、かなりの苦労を強いら れているのが実状です。そんな「東国原」の宮崎喧伝の総本山とも言うべき、「宮崎県庁」を訪問です。
人気の当時は、『そのまんま宮崎県庁ミニツアー』なる悪ノリ企画もあったそうで、開いた口がふさがりませんネ。
ここは、“たけし軍団のコメディ劇場”ではありません。あくまでも宮崎行政の中枢であり、あんな男を踏み込ませてはならない場所だった 筈なのですが・・・


県庁前の「県庁楠並木通り」では、『楠並木よかもんロード』なるイベントの準備が進んでいます。・・・が、あの当時の賑わいを取り戻すのは・・・無理なのでは・・・。
でもスタッフの皆さん、地域活性化イベント、手ぬかりないよう頑張ってネ。しかし、小生には、何の関わりないことですので、さっさとホ テルにもどります。
余談ですが、その帰りに宮崎交通の営業所を偶然発見し、「1日乗り放題券」ゲットです。「今日は、バス、乗り倒してやるっ!!」
ホテルでしばらく休憩後、出発です。時間は11:00。少し早いとは思いますが、段取り通り昼食です。
・・・
おぐら本店
2011年5月14日(土) 今日の昼飯 は・・・
宮崎・橘通東3 「 おぐら本店 」
元祖宮崎チキン南蛮:おぐらのチキン南蛮 ¥980


路地を入った所にあります。
こちらは、現在全国的に普及している、タルタルソースのチキン南蛮。その元祖店です。 では、その説明からですが、昨日の“延岡チキン南蛮”の説明を思い出しながらご覧下さい。
現在の主流となったタルタルソースのチキン南蛮を考案したのは、同じく延岡市の「ロンドン」で「直ちゃん」の後藤直と共に修行し、後に宮崎市において1956年(昭和31年)に「おぐら」を開業した延岡市出身の甲斐義光である。
タルタルソースのチキン南蛮は、「おぐら」2号店である「洋食屋ロンドン」で、開店翌年の1965年(昭和40年)に登場した。 当時のスタッフによると、タルタルソースのチキン南蛮が現在の形になり、人気メニューとなったのは登場から数年経った1970年(昭和45年)頃であり、当時は「洋食屋ロンドン」のみでしか出されていなかった。
しかしそのタルタルソースのチキン南蛮が、一洋食屋のメニューから県内ほとんどの飲食店で出されるメニューになったのには、「おぐら」の店舗展開にも関係があると思われる。
まず「おぐら」は「洋食屋ロンドン」の後、宮崎県内・鹿児島へ出店。1971年(昭和46年)には初めて延岡市に1号店「延岡おぐら店」をオープン。さらにその後も延岡を拠点に大分へも店舗を展開。ピーク時には20店舗近くになっていた。
そんな中「洋食屋ロンドン」での成功を受けて、「おぐら」各店にもタルタルソースのチキン南蛮が登場、人気メニューとなり、地元発祥の料理として広く親しまれ、定着していった。
チキン南蛮の特徴の1つでもあるタルタルソースは、「洋食屋ロンドン」の常連客が、某有名レストランなどから持ち帰り、サンプルとして持ち込んだ何種類ものタルタルソースを基に試行錯誤の後完成したとの当時のスタッフの話や、「延岡おぐら店」に出入りしていた、フレンチ出身のシェフに本格的なソースを作らせたという話がある。
なお、タルタルソースと鶏肉という組み合わせのヒントは、するめとマヨネーズの組み合わせにあったという話も伝わっている。
上記の経緯から、「直ちゃん」をチキン南蛮の元祖とする声がある一方、宮崎県観光協会は今日において主流となったタルタルソースのチキン南蛮を考案した「おぐら」を元祖として紹介している。※Wikipedia
この店は、延岡の「直ちゃん」の大衆食堂的と違って、スタイルは正統派「町の洋食屋さん」です。庶民的親しみ易さはなく、少し気取った 雰囲気もあります。(※しかし、店側が企図するほどのものではなく、あくまでも町の洋食屋のレベルですが・・・)

タルタルソースが絶品です。
味はさすがに美味いです。昨日の「直ちゃん」の南蛮酢の味わいに加え、オリジナルのタルタルソースが絶品で、素晴らしい仕上がりです。
がしかし、この店も昨日の「直ちゃん」と同じで、チキンの揚げ加減が甘く、パリパリ感皆無の不出来なもの。多分これは、両店とも、最初 に修業した「洋食屋ロンドン」のものを正確に伝承していて、その元祖店のチキンの揚げが甘かったと言わざるを得ません。
やはり、所詮「田 舎の洋食屋」ですネ。あまり多くを期待してはならないのです。現に、全国に“チキン南蛮”が普及するにつれ、その揚げの完成度も上がり、 今では、パリパリのチキン南蛮は当り前となっているのですから。 (※さすが憎まれ口は天下一品です。)
・・・
「チキン南蛮」を完全制覇したところで、今日の観光地を巡る大移動のスタートです。景観豊かな「日南海岸」をひたすら南下します。
こここそが、小生の幼心に抱いていた宮崎のイメージ・・・♪フェニックスの木陰 ふ~んん~💛…♪ そうです。「新婚旅行」のメッカ、“スイート・パラダイス”そのものなのです。
『何処までも続く美しい海岸線・・・甘い南風に揺れるフェニックスの木々・・・木陰にたたずむ若い二人のシルエット・・・』いや~、楽 しみですネ。
・・・
まず、宮崎駅に向かいます。もちろん「1日バス乗り放題券」使用です。宮崎駅からは、時間的な理由から、やむなくJR線使用です。


最初の観光スポットである「青島」到着が12:46。あまり広いエリアではないようですし、次への出発まで45分もあるので、ゆっくりのん びり散策です。
宮崎県宮崎市の南東部海岸付近にある周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島。陸繋島になりつつある。 対岸は青島海岸と呼ばれ、青島海水浴場などを含む一大観光地になっている。青島と青島海岸とは弥生橋によって結ばれている。
砂岩と泥岩が交互に重なった地層(油津層群)からなる山が沈降して海に浸かり、波に侵食された後にわずかに隆起することで「隆起波食台」と呼ばれる地形が形成された。
規則的に重なった地層が緩やかな傾斜をなしているため階段状に侵食されており、巨大な洗濯板のように見えることから 「鬼の洗濯板(岩)」と呼ばれる。
宮崎県南部海岸には南西から北東に向かって黒潮が、同北部海岸には北から南へ沿岸流が流れており、これらの潮流によって貝殻の破片などが集められ隆起波食台上に堆積することで青島が形成された。珍しい地形であることから「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として日本国の天然記念物に指定されている。
島では200種類以上の植物が確認されており、そのうち熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種あり、中でもビロウの大群落は貴重であることから「青島亜熱帯性植物群落」として日本国の特別天然記念物に指定されている。
島の中に青島神社があり、神聖な場所であるため祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていたが、1737年(元文2年)以降、弥生(旧 暦の3月)後半の一時期に限り一般人の参詣が許されるようになり、明治以降は年間を通して立ち入りできるようになった。
昭和に入ると周辺の青島海岸に遊園地や海水浴場が整備され、ホテルが建ち並ぶ観光地になった。2003年(平成15年)において年間約70 万人の観光客が訪れている。※Wikipedia




いや~、美しいところですネ。天気も良いし、春らしい爽やかな気候です。のんびりしちゃいます。しかも、小生のイメージ通り“カップル”の姿が目立ちます。でも、新婚さんではないようです。 (※あんたね、今時ネ・・・頭の中が昭和30年代なのネ。)


それに「青島神社」は、“パワースポット”でも有名とのこと。二人の愛が永遠に続くことを願って、カップルが仲よく参拝しています。
でも、お二人さんは、まだご存じない。「二人の永遠の愛」を妨げる“いろいろな都合”が、この先、次から次へと降りかかってきて・・・
おっと、これ以上言及するのは、今の幸せな二人にはあまりにも酷です。止めておきましょう。その代り、小生が若い頃作った広告コピーを二人に捧げます。(※残念ながらコピーはボツでしたが・・・)
『崩壊曲(わかれうた)の序奏(イントロ)は、二人には聞こえない。』
※何と不吉な・・・ボツも当然。商業広告には合わない。
<’11旅B春篇 Vol.3>終了



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