ますき
2010年11月28日(日) 今日の昼飯1 は・・・
岐阜・恵那 「 ますき 」
ますきライス=ハヤシライス” ¥840


ついに発見です!あの小生命名の『中山道・東濃どんぶり街道』の“ミッシングリンク”恵那市。そのご当地グルメをとうとう見つけました。 しかし、期待に反し、“丼もの”ではありません。洋食系の“ハヤシライス”です・・・
でも、何故恵那でハヤシライスなのか?・・・どうやら、先回の『さすらい地元メシ 日本橋』でご紹介の丸善創業者「早矢仕有的」に関係があるようで、説明はこうです。
早矢仕有的(1837~1901)は、岩村藩領・美濃国武儀郡笹賀村(合併前の山県郡美山町)に生まれた。医者としても評判が良かった有的は人の薦めもあり岩村藩主松平乗命の藩医となる。26歳の時である。
藩主乗命の督学奨励もあって、有的は侍医のかたわら英学も学び、30歳の時には慶応義塾に転じて、福沢諭吉に師事している。有的が岩村藩医を辞したのは32歳の時であるが、その間に31歳、横浜の病院の院長に任命され、翌1869年に西洋の文物輸入を主とした貿易会社を創立している。これが近代的株式会社組織第一号となる丸屋商社、現在の「丸善株式会社」である。
有的はもっと栄養をとるべき患者や食欲増進の必要な患者に対して、滋養に富み美味で簡単に出来る料理として、牛肉の細切れと野菜をゴッタ煮にして飯にかけて食べることを勧めた。
これが英語がまだ普及しなかった明治初期にハヤシ先生の料理と言う様な呼び名で評判になり、(ライス=米飯)などの英語が市民にようやく普及した明治の後期になってハヤシライスという呼び名に落ち着いたと言われている。※(社)恵那市観光協会HP
岩村は現在は恵那市に属しており、これに因んで「恵那のご当地グルメはハヤシライスだ!」ということらしいのです。『ハヤシの恵(めぐ)ちゃん』なる会も発足して、懸命に活動しているとのこと・・・
しかし、少し無理がありませんか?あまりにも強引に繋げ過ぎている。ご当地グルメというのは、その地で生活している住民の納得が不可欠です。それが出来ているのか、どうか?・・・
まあ、ミッシンリンク恵那の焦る気持ちは理解できるのですが、果たしてこれで良かったのかな?・・・まあ「ハヤシ丼」なら許しちゃうのに・・・(※まだ、「どんぶり街道」にこだわっている訳ね?・・・人間が小さい!)

味は、予想通り『色の茶色い、辛くないカレーといったところで、ごく普通の代物』です。ご飯の量が多目のところは気に入りましたが・・・That’s ALLです。
https://goo.gl/maps/UjSpWckT1FbcwM778
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老鰻亭 魚関
2010年11月28日(日) 今日の昼飯2 は・・・
岐阜・多治見 「 老鰻亭 魚関(ろうまんてい うおせき) 」
うなぎ丼(上)&肝吸い ¥2,100 + 200
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とうとう小生命名の『中山道・東濃どんぶり街道』の終着点「多治見」です。

ここの名物は、何と言っても『うなぎ』です。昔、市内を流れる土岐川で天然鰻が多く獲れ、当時栄華を誇っていた陶磁器職人たちの明日の活力源になっていたと思われます。
それだけに昔からの老舗店も多く、聞くところによると、この東濃地域の鰻屋で若い頃修行を重ね、浜松など故郷に帰り店を開いたという職人さん達もいたとか。言わば、この地域が鰻職人の養成所となっていたとも考えられます。
ですから、ここのご当地グルメは『うなぎ丼』をおいてほかにないのです。

やはり「うなぎ」は関西風に限るね。この焼き加減といい、香ばしさといい、タレの濃さといい、昔から慣れ親しんだ味です。さすがに「多治見の名店」。まあまあです。
ただ、タレが甘さを控えた辛口であり、肉体労働者である昔の職人さんに合わせた辛い味付けになっているのが・・・小生には少し・・・
・・・

しかし、「多治見市」も『伝統のうなぎ丼』だけでは、昨今のB級グルメブームに対応できないと考えたらしく、最近「うながっぱ」なる“ゆるキャラ”を創り、それにちなんだ「うながっぱ押し寿司」や「うながっぱロール」等のメニューを開発し売出し中です。
また、「日本一暑い町・多治見」を象徴したB級グルメ、ピり辛の味付けが特徴の「たじみそ焼きそば」もデビューしており、東濃地域の雄として、本格的に活動を開始した模様です。これでは、小生の“東濃徘徊”は、当分止められそうもありません・・・

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