2010年6月19日(土) 今日は休日です。『東京プチ散歩』に出かけます。今日の行く先は、「人形町」。東京でも何故か人気スポットになっています。TVドラマ「新参者」の影響か?・・・※小生はTVドラマを見ないので全く分かりませんが・・

日本橋人形町は、東京都中央区の地名で、旧日本橋区の地域内である。オフィス・飲食店・住居が混在する街並みで、街路は狭く一方通行の道路が多い。飲食店が連なる甘酒横丁(あまざけよこちょう)という通りが有名。また、老舗店舗が多い。
江戸時代、現在の日本橋人形町三丁目に歌舞伎小屋の中村座と市村座があった。また、薩摩浄瑠璃(薩摩座)や人形芝居(結城座)も行われていた。人形遣いが多く住んでいたから人形町と名付けられたとされている。※Wikipedia
玉ひで
2010年6月19日(土) 今日の昼飯 は・・・
人形町 「 玉ひで 」
元祖親子丼 ¥1,500

この店は、親子丼の発祥の店として人気ですが、何より長蛇の列でも有名なところ。それを見越して、開店20分前には到着したのですが、店前には、すでに100名を越す長蛇の列ができており、お店の整理係のおばちゃんに聞いたところ、うまく行けば1時間くらいとのこと。今まで“長蛇の列で有名なお店”に数多く行き、その度 何とか乗り切ってきた小生でしたが、さすが今回は難しそう・・・炎天下の下で待つことにしました。いつ来てもこんな状態なら、いつ来ても同じこと、と考えた訳です。

待つこと1時間、やっとのことで入店。下足番のおばちゃんに靴を預け、窓口で食券を買って、待つこと数分。出てきました、出てきましたヨ。待望の“元祖親子丼”!
「親子丼」とは、鶏肉、玉ねぎなどを割り下で煮て卵でとじ、丼飯の上に乗せた料理で丼物の一種。「親子丼」という名前は鶏の肉と鶏の卵を使うことに由来する。「親子どんぶり」が本来の呼称であろうが、その略称である「親子どん」がよく使われる。
東京都中央区日本橋人形町一丁目にある老舗鶏料理店「玉ひで」の“元祖親子丼”は、割り下で鶏肉のみを煮て卵とじにしたもので、玉ねぎやみつば等の材料は使われていない。
『玉ひで(たまひで)』は、多くの老舗が軒を並べる人形町界隈でも、昼時の行列は一際目を引くものがある。 11時半から13時までの限定で 軍鶏を使用した「元祖親子丼」(1500円)が人気である。 店内に入ってからも並ぶ必要があり、番号札を受け取って下足を預け、窓口で食 券を買う。 席に着くと、すぐに親子丼が運ばれて来る。 特に、大安・戌の日は水天宮からの人の波でさらに長蛇の列ができる。※Wikipedia より抜粋

専用の和風レンゲ(何と言うか知らない)で、食すのですが、これが・・・・!
小生、こんな美味しい親子丼を食べたのは初めてです。正に黄色です!というトロトロ玉子がとても美味で、前に座っていた女の子が(※相席は当り前)「美味しいネ、美味しいネ。」と声を出して食べていたのが、その真実を物語っています。
それから、甘酒横丁をブラブラして、次なるターゲットへ。
柳家
2010年6月19日(土) 今日のデザート は・・・
人形町 「 柳家 」
“鯛焼き(天然もの)” ¥@140×4匹

再びの、長蛇の列です。「玉ひで」よりかなり短い列だったので、安心して並んだのですが、結果的に“また1時間”でした。“天然もの鯛焼 き”は、一匹一匹丁寧に焼くので、時間がかかります。それに一人10~20個を買っていく人が数多くいて、なかなか列が前に進みません。 こんな人気の“鯛焼き”とは?・・・

「たい焼き」は、明治時代から食べられている日本の菓子の一つ。鯛の焼き型に入れて焼いた、餡(あん)入りで小麦粉主体の和菓子である が、近年は餡に替えて別の食材を詰めたものも見られる。
小麦粉・砂糖・重曹などから作った生地を、鯛をかたどった焼き型に流し入れて焼き、片側に餡(小豆のアンコ)を載せて両側を合わせて焼く。近年では餡に替えてクリームや溶かしたチョコレート、キャラメル、カスタードクリームなどを詰めたものも見られる。

たい焼きの焼き型には、1匹ずつ焼き上げる型と複数匹を一度に焼き上げる型の2種類があり、前者を「天然物」「一本焼き」、後者を「養殖物」とも呼ぶ。手間がかかる前者の焼型の使用は減少を続けているが、こだわりを持つたい焼き職人もいる 。天然物と養殖物は焼き方が違い、また、火の通り方が異なることから味も違う
発祥については、説が複数あり定かではない。明治時代に鋳物の型を使って作られたとされるが、三重県津市大門「日の出屋食堂」が東京や大阪のデパートに出店し全国的に広まったとも、「浪速家」の発明ともされるが、決定的な発祥の証拠は無い。今川焼きを元に種々の動物などを模した形に焼いた菓子が生まれ、その中で縁起が良く庶民がなかなか食べられない鯛の形をしたものが特に優勢になって生き残り、以後、長く愛されるようになったものと思われている。
麻布十番の「浪花家総本店」(1909年創業)、人形町の「柳屋」(1916年創業)、四谷の「わかば」(1953年創業)は「東京のたいやき御三家」と呼ばれている。このうち、「浪花家総本店」は『およげ!たいやきくん』のモデルといわれている。
柳屋は、東京「たいやき御三家」のひとつ。味がよく、毎日行列ができる人気の店。一尾ずつ焼き上げる、いわゆる天然物であるため、手間がかかり行列が長くなる模様。甘酒横丁沿い。
この店には、もちろん「イートインコーナー」はなく、自宅に持ち帰って食したのですが、感想を30字以内で表現するなら、『外・カリッで、中はモチッ、アンコは甘さ上品。結構、結構!』かな?でも、小生、“鯛焼き”とご対面するのは30年以上ぶりで、他と比較するのが難しく、こんなかな?と感じるばかりでした。
鯛焼きを購入した後、「水天宮」に行こうと通りを歩いていましたら、またまた長蛇の列にでくわしました。「重盛の人形焼」です。さすがに小生、並ぶ気にはなりませんでしたが、どうして人形町には長蛇の列ができるのだろう?並ぶことが大好きな人達が集まってくるのかな?・・・東京でもここは特異な場所です。観光でいらっしゃる方は要注意です。
<プチ東京観光>
東京・人形町 「水天宮」

水天宮(すいてんぐう)は、東京都中央区日本橋蛎殻町にある神社である。福岡県・久留米市にある久留米水天宮の分社。
江戸時代より安産・子授けの神として人々から厚い信仰を集める。妊婦や子供を授かりたい夫婦あるいは無事出産できた夫婦などが、安産や子授かりの願掛けやお礼参りなどで人並みが途絶えることがない。
久留米の水天宮は久留米藩歴代藩主(有馬家)により崇敬されていたが、文政元年(1818年)、9代藩主有馬頼徳が江戸・三田の久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請した。これが江戸の水天宮の始まりである。藩邸内にあったため一般人の参拝が難しかったが、あまりの人気に応え、毎月5の日に一般開放され、「情け有馬の水天宮」という地口(じぐち)も生まれたほどであった。明治5年(1872年)、有馬家中屋敷のあった現在の日本橋蛎殻町二丁目に移転した。※Wikipedia
※地口→駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びである。-恐れ入谷の鬼子母神→「恐れ入りました」 -いやじゃ有馬の水天宮→「いやじゃありませんか」
安産や子授かりは、小生には縁遠いことなので、そそくさと退散です。



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